由来を失ってどこまでも重なっていく言葉

あるいはフランスの地名に見る「御御御付け」

利根川を英語で言うと The Tone River あるいは冠詞だけつけて The Tone といったところでしょうか。

利根と言えば何にもまして川のこと、The Tone で十分誰もが坂東太郎のことだと納得してくれるでしょう。La Seine に The Thames に The Tone と言うわけで過不足なし。


The Edo とは何か

ところがこれが「江戸川」だと事情が変わってくる。The Edo では、まず川の名前だという連想が働かないでしょう。八百八町の江戸か、時代区分としての江戸か、いずれにしても The Edo と聞いて一発で河川名だと思う人はほとんどいないのではないか。そこで The Edogawa と称することになる。江戸川では「川」の部分が「川というカテゴリー」の表示ではなく「固有名の内部」に取り込まれることになるわけです。

ここで問題が生じてきます。The Edogawa を利根川 (The Tone River) と同様に The Edogawa River と言うことが出来るからです。しかしこの The Edogawa River には重複があるので、ここから日本語に再展開すると「江戸川川」になってしまいそうです。

江戸川橋はどうするのか

ところが話はまだ終わらない。両国橋が Ryogoku Bridge なのはいいとして、それでは江戸川橋はどうしたらいいでしょうか?

両国橋の例に倣うなら Edogawa Bridge となるのが論理的ですが、国土交通省(当時)が採った結論はそうではなかった。ここでも「橋」の一字が「橋というカテゴリー」の表示ではなく「橋の固有名の内部」に取り込まれたのです。こうして Edogawabashi Bridge という看板が問題の橋の東西に誇らしげに掲げられることになりました。いまもって Edogawabashi Bridge という表記法がウェブ上にも散見されます。

しかしこの Edogawabashi Bridge は日本語に再展開すると「江戸川橋橋」です。

Here lies the Edogawabashi Bridge across the Edogawa River.

英語で言うと上の通りで、逐字的に訳せば「江戸川川に江戸川橋橋が架かっている」ということになる。

こうなってくると、もう半分自棄になって、いっそ Edogawa River Bashi Bridge とでもすればよかったのになんて思えてきます。「江戸川川橋橋」だ。川や橋といった「カテゴリー名」を「固有名に繰り込む」という規則を順に適用していくとすればこれが論理的な帰結のはずです。

富津岬が正しくて、船浦湾がいいのなら、富士山山はどうなのか

冗談はともかく、こうした「重複地名」というのはどこにもあります。もとは「〜山」とか「〜川」とかいった付加要素だったものが固有名詞の一部と見なされて内部に取り込まれる。いつも一緒に言っているから「分析」されなくなるわけですね。

例えば「東京・都」や「大阪・府」は日常的に分析されているが、北海道は少なくとも「道民」以外には「北海・道」と分析されてはいないでしょう。東京、大阪、というように「北海」とは言わない。論理的には「北海」で差し支えないはずですが、現に言わない。

その内に付加部分の元来の意味は失われ、完全に地名に固着してしまう。地名というのは頑固なもので、その時代の言語がすっかり様変わりしてしまっても、まだ古い形を残していたりするから、ますます「かつてくっついた付加部分」のことなんか忘れ去られてしまう。すると中には、また新たに重ねてカテゴリー名を付加しはじめるヤツが出てくる。

さすがに富士山に山を付加して「富士山やま」なんて言う馬鹿はいないでしょうが、月山(がっさん)を英語で言おうと思ったらどうしますか。「マウント・ガッ」ですか? やはり Mt. Gassan とでもしなければ収まらないでしょう。これにて「月山やま」の出来上がりです。

また一方、千葉の「富津岬」(津は岬の意)とか西表の「船浦湾」(浦は湾部の意)とか当たり前に重複が通用しています。日本中の文字通り津々浦々にたくさんの「〜津岬」や「〜浦湾」があるでしょう。どうでもいいけどこれほど字義通りの「津々浦々」の使い方はめったに見られませんね。

一方、アイヌ語系統のペンケルペシュッペ川、ポンポロベツ川、ポンニタチナイ川なんてみんなそうですね(〜ペ、〜ベツ、〜ナイ、いずれも「川・沢」の意)。凄いのは北海道上川郡清水町のナイ川。ずばり「川川」ですよ。

世界の地名重複:丘丘丘丘とは何のことか

この「ナイ川」、日本にしかナイわけではナイ川。イギリスにもアル川。Avon River はイングランド・スコットランド、旧大英帝国領にたくさんある、大変平凡な河川名なのですが、Avon だけですでに、ブリトニック系の語で「川」。Avon をガエリック系とする別説もありますが、いずれにせよセルティック語派の仲間。近代ウェールズ語 (Afon) にも残る由緒ただしい川の呼び方として差し支えはないでしょう。したがって、したがって Avon River は逐語的に直訳すると「川川」となる。

この類いで一番有名なのはサハラ砂漠でしょうか。Sahara はアラビア語で (صَحراء) ṣaḥrā´ 「砂漠(複数)」の意味だそうですから、Sahara Desert は訳せば「砂漠砂漠」となります。(ちなみにこの複数形は数を言う複数形ではなさそうですね。遠山一郎氏のいう「嵩のあるものの複数形」という感じがする。ちょっと調べてみます)

大英帝国には「丘丘」もありますね。ソースで有名な、イングランドはウスターシャーの Bredon です。Bre (ブリトニック系で「丘」)と don (サクソン系で「丘」)がくっついて出来ている語であるから「丘丘」の意味です。そればかりか、この「丘丘」には「丘丘丘」があるのです。もう何を言っているのか判らなくなってきましたが、Bredon には Bredon Hill という丘があるんですね。目出たく「丘丘丘」の完成です。

しかし上には上があるものです。三葉虫で有名なカンブリア紀に名を刻むイングランド北西のカンブリアには、Torpenhow Hill という丘があるそうで、大ざっぱに言うと tor- も -pen- もブリトニック系、-how- (< hōh) はアングロ・サクソン系、hill は言わずとしれた現代英語、いずれも意味は「丘」、というわけで Torpenhow Hill 全部まとめて「丘丘丘丘」ということになる。丘丘丘丘なんて手で書くと、すぐにでもゲシュタルト崩壊がおこってきますね。

冠詞をもう一つ付けてみよう

さて以上の例はいずれも後ろにおまけが付いてきて重複ができ上がるものでしたが、当然のことながら前に重複がある地名も多いです。典型的なのは名付けて「冠詞固着タイプ」。

十四世紀に Aucet という川がピレネー山系にありました。これに冠詞が付けば l’Aucet ですが、何しろ河川名なんてものは特別な文脈でもなければ定冠詞付きで出てくることばかりでしょうから、このローセという発音がほぼお決まりになります。母音省略のせいもあり、冠詞が付いていたこともいつしか忘れられ、ローセ、ローセといっているうちに冠詞はすっかり後ろに固着してしまって、Lausset という河川名ができ上がります。しかしフランス人の感覚としては河川名に定冠詞をかぶせないわけにもいかないのでしょう、いつからか Le Lausset と、二個目の冠詞が付いてしまいました。

こういう例がフランスには幾つもあるようで、ガロンヌ川に注ぐロート川 Le Lot は古くは Olt 川だったそうです。上と同じですね。冠詞を付けた L’Olt という形でロート、ロートと呼び続けているうちに、冠詞は本体にすっかり埋没してしまい、そうするうちに冠詞を重ねてつけるヤツが出てくるという。Le Lot なんて五文字しかない地名のうち冠詞部分が六十パーセントを占めている訳で、これはもう冠のかぶり過ぎです。Le Lot 河畔の有名な町 Cahors を訪ねたことがありますが、Le Lot という河の名前は「ルロッ」という感じに発音されていました。もう冠詞しか聞こえていないわけです。

冠詞が一つじゃ物足りない、二個つけてもいいじゃないか

しかし例によって上には上があるもので、オーヌ県はアランソンの近く、かつて Celle という地名がありました。この語感からいって女性名詞しかありえないので冠詞をつければ La Celle となる。早晩このラセルがまとめて地名と見えるようになってきて Lacelle という地名の出来上がりです。

ここまでは普通の出来事で、なにしろ私の住んでいるリモージュのとなりコレーズにも Lacelle という地名があります。しかしオーヌ県の Lacelle の方はここで止めたりはしなかった。Lacelle に新たに冠詞を付けたければ、これはどう見ても女性名詞にしか見えませんから La Lacelle ということになるでしょう。するとまたぞろラ・ラセル、ラ・ラセルと繰り返しているうちにララセルという地名があるように見えてくるのも道理というもので、かくして Lalacelle なる街の出来上がりです。定冠詞が二つ固着して、歌っているようなちょっと素敵な街の名前になりました。

しかし惜しかった。もしこれが河川名だったなら、La Lalacelle ラララセルという呼び方が次の固着を待っていたはずです(河川名はどうしても冠詞を付けたくなるから)。そうすれば、日本語における「御御御付け」すなわち「おみおつけ」の美化語三重複合に匹敵する、定冠詞三段攻撃が成立していたでしょう。

※(2010/06/19追記)ところでおみおつけが「御御御つけ」と分析されるのは俗説に過ぎないらしいです。これは単に「おみ」の「おつけ」に過ぎないという話がある。「おつけ」はご飯に添える汁物の意味でしょうからいいとして、問題は「おみ」とは何か。これが「味噌」を意味する女房言葉だというのです。つまり魚を「おとと」、お酒を「おささ」、「おかもじ(髪)」「おめもじ(目通り、つまり会うこと)」などとする習慣のことです。この説に従えば「おみおつけ」は「御味(噌)」の「御付け」ということで、美化語三連発の攻撃は不成立です。残念、折角の落ちが台無しだ。

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Published in: on 2010/06/19 at 15:17  由来を失ってどこまでも重なっていく言葉 はコメントを受け付けていません。  
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