鬼哭啾啾あるいは文字の発明

淮南子
本經訓:

昔者蒼頡作書,而天雨粟,鬼夜哭

また,修務訓には:

昔者,蒼頡作書,容成造曆,胡曹為衣,後稷耕稼,儀狄作酒,奚仲為車,此六人者,皆有神明之道,聖智之跡,故人作一事而遺後世,非能一人而獨兼有之。


泰族訓には:

蒼頡之初作書,以辯治百官,領理萬事,愚者得以不忘,智者得以志遠

韓非子に
五蠹:

古者蒼頡之作書也

呂氏春秋に
君守:

奚仲作車,蒼頡作書,后稷作稼,皋陶作刑,昆吾作陶,夏鯀作城,此六人者所作當矣,然而非主道者,故曰作者憂,因者平。

蒼頡

出典 :フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:s.v.
蒼頡(そうけつ、倉頡とも。ピンイン: CāngJié)は、漢字を発明したとされる古代中国の伝説上の人物。
伝説によれば、蒼頡は黄帝に仕える史官であった。それまで中国の人々は、インカ帝国のキープのような縄の結び目を記録に用いていたが、蒼頡は鳥や獣の足跡の形によって元の動物を推測できることから、文字によって概念を表現できることに気付いたという。
戦国時代には蒼頡の伝説は既に一般化していた。淮南子には「蒼頡が文字を作ったとき、天は粟を降らせ、鬼は夜に泣いた」と記されている。また説文解字は、「蒼頡ははじめに作った文字はみな象形文字であり、これを「文」と呼ぶ。その後に形声文字が作られ、これを「字」と呼ぶ」としている。
また肖像画では、蒼頡は目が四つある人物として描かれており、これは蒼頡の優れた観察力を表現したものといわれる。中国でほかに帝舜と項羽も四つの目をもつ人物として描かれる。

呉智英『封建主義者かく語りき』p.155 seq.

太古の昔,この世で最初の帝は,黄帝といった。黄帝は,日月の運行を数えて暦をつくり,大地・河水を治めて災害を防ぎ,農作物を野草の中から見つけ出して農業の基を築き,礼法を定めて人民の道徳心を涵養し,すなわち,今日の人間が享受している文化の始まりをつくったのである。
この黄帝に,蒼頡(そうけつ)という男が仕えていた。
蒼頡は,黄帝の事業を助け,黄帝の知恵袋となって尽力していたのだ。
ある時,蒼頡は,水辺の湿地の上に,水鳥達の足跡がいろいろな模様を書いているのを見た。その時,彼は文字というものを思いついたのである。文字。これがあれば,人間は,自分の観念をかたちとしてとどめ,他人に伝え,学び,教えることができるのだ。蒼頡は,ただちに家へ帰り,一日中没頭して文字の基礎をつくった。
作業は夜半すぎにまでおよび,蒼頡が文字をつくり終えた時は,世界は暗黒と沈黙の支配する深い夜になっていた。蒼頡は,大業を果たし,ふと我に返った。すると,吸い込まれるような漆黒の闇の中から,低くかすかな,悲しむような呪うような,魂を凍らせるようなうめき声が聞こえてくるではないか。蒼頡は,震える手で,そっと戸を開けた。
蒼穴の家の外には,闇の中に,数知れぬ異形のものが集まり,怨みのこもった泣き声を発していたのだ(鬼哭啾啾)。ぞっとする蒼頡に,異形のものは言った。
「人は,ついに文字を見いだしてしまった。その力の前に,我らの没落が始まる。ゆえに,悲しみ嘆いているのだ。しかし,人間よ,汝らの徳も,必ず衰退するであろう」
こう言うと,異形のものたちは,闇の中に姿を消していった。

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Published in: on 2010/06/19 at 16:14  鬼哭啾啾あるいは文字の発明 はコメントを受け付けていません。  
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