フランスの奇妙な地名

以前のエントリー(「由来を失ってどこまでも重なっていく言葉」)で「意味の重複のある地名」としてフランスの幾つかの地名に触れた。地名の話は尽きない。リモージュ近在の奇妙な地名を幾つか収拾してみる。

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言語学にとっては地名というのは言葉の変遷を探るのにも好個の素材であって、私自身も関心の高いところだ。

いま住んでいるリモージュという街は、フランス中西部の内陸の街で、いわゆるオック語の分布する最北端に近い。もっともオック語はすでにほぼ死語に近く、絶滅危惧言語である。それでもオック語保存会みたいな組織もあるし、オック語の本の専門店などというものも市庁舎のほど近くに存在する。

日常の言葉にはオック語の残滓は認められないが、辛うじて « Chabatz d’entrar! » という表現は今日でもポピュラリティがあるようだ。「ようこそ」「どうぞお入りになって」といったほどの意味である。商店ばかりか個人宅でも Bienvenu の代わりにパネルに書いて、店の戸に掛けておいたりする。

しかし、すでに街頭でもまず聞かれることのないオック語を探し求めるならば、どうしても地名に手が伸びる。地名というのは頑固なもので、古い形を残しがちなのである。日本でも東北のそこここにアイヌ語の痕跡が地名として残っているのはよく知られている。

そんなわけで、このリモージュの近在にオック語の痕跡を求めて地名探索をせねばならないのは当然のことであった。ところがオック語由来の言葉に限らず、幾つか奇妙な地名に行き会ったのである。その奇妙な地名について報告する。

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1)Les quatre vents レ・キャトル・ヴァン:「四つの風」という町(地図参照

リモージュの北東、アンバザックにほど近い田園のなかに見る地名である。周囲はなだらかな牧場と森のひろがるフランス中西部に典型的な風景。この地名は友人が道すがら「詩的で素敵でしょう」と言って教えてくれた。

詩的にもいいのかも知れないが、野暮天の言語学者にとって語学的に面白いのが、不可算名詞「風」が「数えられている」という点。風といったら du vent というように通常は部分冠詞付でお目にかかる単語だ。言って見れば不可算の代表みたいなものだと思うが Les quatre vents とは。友人に「風はどう数えるんだ」と聞いたら答えが振るっていた。「数える必要はない。数は四つに決まっている」

何故かと言うに、彼の言うことによるとこれは「四方の風に (aux quatre vents) 吹きさらわれる」つまり「あっちゃこっちゃに風で吹き散らされる」という表現でしか使わないのだと。あとで字引きを見てみたら確かに quatre vents とは「四方位」のこととあった。全方向、すなわち東西南北の四方ということである。

不可算名詞のもう一つの代表格「水 (de l’eau) 」などでも「全世界」を含意する「七つの海 (sept eaux) 」なんていう複数の用法があるし、筋は通っている。

しかしこれを「四方位」と訳すのはちょっと残念だ。ここは「四つの風」という意味を保存しておきたい気がする。なるほど詩的な地名なのだ。

ところでフランス中にこの地名は散在しており、しかも Les quatres vents という綴り間違いの地名もたくさんあるのだった。quatre 「四」を quatres としている。quatre のリエゾン間違いと言えば「四つの目の間、すなわち二人だけの話、内密事 (entre quat’z-yeux) 」などという表現もあって、quatre に s を付けておきたくなるのはよくあることらしいが(小学生などもよく間違えて訂正されている)、地名にまで登録されているなら quatres もあながち間違いとは切り捨てられない。

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2) La Malaise ラ・マレーズ:「不快感」という町(地図

ナチの殺戮で街が一つほぼ皆殺しにされたことでつとに有名なオラドゥール(スュル・グランヌ)から南に下って数キロ、国道 N141 沿いの小さな町である。

町の名前としてパノー(看板)に見たときにぎょっとしたものだ。「不快感」にあたるフランス語は本当は le malaise なので、性が違う。だが車窓を次々と流れゆく標識の、冠詞のところなんていちいち確かには見はしない。一見して「不快感」と書いてある。

しかもフランスの街道筋は町に入る時に必ず看板で「ここから La Malaise 」と告げ、街を出る時には同じデザインに斜めに赤い線の入った看板で「ここまで La Malaise」と知らせる習いである(街の中でだけ速度制限が違うのだ)。車窓からぼんやりと田園を眺めていると突然の不意打ち、「ここから不快感」、そして「ここまで不快感」と言われるようなものである。

初めてこの町を通り抜けた時は笑ってしまった。突然に「不快感」に入って、「不快感」を脱するまでは、ものの五分ほどであった。

車を運転していた友人に「この町の人はみんないつも不快でいるんじゃないだろうな」と言ってみたところ、「別に不快ではないかも知れないけれど、全員マレー女 (Les Malaises) かもしれない」とのこと。La Malaise は「マレーの女」とも読める。なるほど。

この友人が上の「不快感」に加えて示唆してくれた地名もかなりすごかった。「『不快感』もいやだけどもっとひどいのがあるよ……」。すなわち、次の通り。

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3) Angoisse アンゴワッス:「不安」という村(地図

リモージュから南に数十キロ、「不安、ないし苦悶」という名の町がある。

J’ai habité, depuis la naissance, au centre d’Angoisse… 「生まれてからこのかた『不安』のただなかに住んでいる」などということも起こり得るわけだ。のどかそうな田園のただ中に一点、「不安」という町が鎮座している。

この Angoisse という村は古名を Engoissa と言うそうで、これは古いオック語で「狭い道、隘路」を表す言葉だそうだ。さらに語源を遡るとラテン語の angustia < angustiae (f.pl.) < angustus ここまで辿れば単に「狭い」というほどの意味に過ぎない。「不安」を意味する angoisse の語源も同じ angustia だから、元は同じ意味から始まっていたのだ。それが二手に分かれた。一方は「胸が締めつけられるような不安」、他方は単に「狭い道」、使う局面も異なれば、実際の発音も違ったろう。しかしやがて時を隔てて二つの言葉が合流して、今日風に綴り直される。そうなると前者の意味「不安」しか見えてこなくなってしまう。

もともとはそんなに悪い意味でもなかった訳だろうが、今の住民はどう思っているのだろうか。おそらく冗談の種にでもして、vivre à Angoisse sans angoisse「なんの不安もなく Angoisse に暮らしている」のかも知れない。

* * *

4) Arnac La Poste アルナック・ラ・ポスト:「郵便泥棒」という町(地図

極め付けはこの町、Arnac-La-Poste 「郵便をかっぱらえ」としか聞こえない奇妙な町があるのだ。ところはリモージュの北、オック語限界線の最北端に位置する。フランス・メトロポリテーヌの臍に位置する町で、実際にこの町はパリ・トゥールーズ間の中央にあり、高速道路で両都市を往復するものは Arnac-La-Poste の出口の標識を見れば「これで半分来たか」と思うものだと言う。

それにしても Arnaque la poste ! と言えば「郵便をかっぱらえ!」という意味にしか聞こえない。百年戦争の時代に要塞化されたという、由緒もある古刹なのだが、なによりもこの「奇妙な名前」でフランス中に令名を轟かせているのである。

語源的には諸説あり、ガリア人名 Arnos アルノスに帰する説、同じく人名 Artonos に遡るとする説、後者の場合はケルト系の artos すなわち「熊」を語源とする、などとされている。Albert Dauzat et Charles Rostaing (1979) Dictionnaire étymologique des noms de lieux en France, Librairie Guénégaud.

この町の公式ウェブサイトの説明ではケルト系の語尾が Arnac には見られ、その場合の語源は「岩、小高いところ」だったそうで、この地域には多くある地名だったとのこと。現地からの説明なので、目下はこの説が有力か。なにしろ地域に多くある地名なので、区別のために当地に十八世紀初頭からあった郵便中継局にちなんで「ポストのところのアルナック」としたのだ、と言う。

それがたまたま発音上の類似から「ポストをかっぱらえ」になってしまった。

この町では町名の看板が「かっぱらわれる」ことが多いらしく、気の毒ながらもむべなるかなという感がある。

この「郵便泥棒」の町からはじまって、さらに多くの「フランスの奇妙な地名」を知ることになったのだが、それは次の話題としたい。(2011/02/13)

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Published in: on 2011/02/11 at 14:39  Comments (2)  

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2件のコメントコメントをどうぞ

  1. 織田武先生から高田さんのお名前をお聞きしました。Google で高田先生を検索しこのサイトにたどりつきました。
    小生1930年生まれです。フランス企業に半世紀勤務しましたので、フランスのことはなんでも興味があります。高田先生の
    お話はすばらしい。ぜひ続けてください。
    樋沼達雄

  2. 初めてご連絡させていただきます。中央公論新社でC★NOVELSの編集をしております村松と申します。『図書館の魔女』読ませていただきまして、一度お仕事ご一緒したいと思い、コンタクト取らせていただきました。メイルアドレスの方にご連絡いただければ幸いです。


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