「まどか」は女の子なのか、男の子なのか、何人いるのか?

アニメや漫画の世界では「男女の取り違え」が酷すぎる。いやなに「男の娘」とか「男女間の魂交換エピソード」とかの話ではなく、ジェンダー論でもなく、単に語学的な話として。

『魔法少女まどか☆マギカ』が話題である

なぜ私がこのアニメについて関心をもったかはここでは語らないが、私の直接の知り合いならキャラクター一覧を見るだけで「ああ、それでか」と納得してくれるだろう。例によって私が関心を持っているのはまずは「名前」だけである。したがってこの作品の中身については今のところ語ることがない。というより、ここフランスでは普通の方法ではまだ視聴できないのだ。ニコニコ動画などにも公式配信されているということで、入り口までは行ってみたのだが海外からは見れないというような話なのですぐに諦めた。おそらくマニアの友人がすぐにDVDを貸してくれるだろう。

なんでもかつてのエヴァンゲリオン並の話題になっているということで早く見てみたいものだ。ともかく議論する欲望をかき立てるタイプの作品であるのは確からしい。さて、それではウェブ上にさまざまな議論を巻き起こしている作品について、見てもいないのに私は何を問題にしようとしているのか。それは掲題の通り、誰かに「まどか」はいったい男の子なのか、女の子なのか、そして何人いるのか、聞いてみたいと思ったからである。ちょっと露悪的だろうか? 判ってて訊いているのはあからさまだけど。

Puella Magi は「魔法少女」なの?

『魔法少女まどか☆マギカ』の正式タイトルと思しきものには Puella Magi Madoka Magica という副題みたいなものが付いている。Puella Magi って何だ? Magica って何だ? というのはすでに頻出質問の扱いらしく、誰かが聞けば「Puella Magi はラテン語で『魔法少女』の意味である」とか「Magica はラテン語であり、英語で言うと Magical 」とか、答えがすぐに返ってくる。

しかし残念ながら前者の Puella Magi は「魔法少女」という意味にはならない。ちょっと野暮だがこうした間違いがあまり流布すると今後のためにならないので、ラテン語の教師(休職中だが)としては一言いっておかねばならない。啓蒙のため、丁寧に説明しておこう。ここから言っておかなきゃ駄目なのか、という感じではある。とは言うもののエントリーの性質上、うんと若い人が紛れ込んでこないとも限らない。そうした人の中で、ここで始めてラテン語と出会うという人もいないとも限らない。さらには、そうした人の中で何かの間違いでラテン語について俄然関心を強くするに至り、しこうして西洋古典学の新たな担い手が誕生しないとも限らない。だから丁寧にいこう。

ミニ・ラテン語講座(名詞・形容詞編)

前提条件1:ラテン語には男性名詞、女性名詞、中性名詞の別がある。たとえば Puer プエル「少年」は男性名詞。Puella プエッラ「少女」は女性名詞。dōnum ドーヌム「贈り物」は中性名詞。

前提条件2:名詞を修飾する形容詞も、名詞の性に伴って変化する。これを「名詞に一致する」とも言う。たとえば形容詞 magus ならば Puer magus プエル・マグスで「魔法少年」、Puella maga プエッラ・マガで「魔法少女」、dōnum magum ドーヌム・マグムで「魔法の贈り物」といった具合。もう何が言いたいかは大体お判りになったろう。

前提条件3:名詞、形容詞はさらに文中での働きを語尾変化で区別する。主語に使うとき(主格)、目的語に使うとき(対格)と言ったように、それぞれ文中の機能によって形が変わる。

その変化のパターンを覚えておかねばならないわけだが、表にすると次のようになる。まずは magus が「魔術師、魔法使い」という意味の名詞だとした場合。(表中、横棒の上に付いた母音は長母音を表す)

. 単数 . 複数 .
. 男性 女性 男性 女性
主格 magus maga magī magae
呼格 mage maga magī magae
対格 magum magam magōs magās
属格 magī magae magōrum magārum
与格 magō magae magīs magīs
奪格 magō magā magīs magīs

つづいて「魔法の」という形容詞だったと考えた場合。

. . 単数 . . 複数 .
. 男性 女性 中性 男性 女性 中性
主格 magus maga magum magī magae maga
呼格 mage maga magum magī magae maga
対格 magum magam magum magōs magās maga
属格 magī magae magī magōrum magārum magōrum
与格 magō magae magō magīs magīs magīs
奪格 magō magā magō magīs magīs magīs

と言った具合に変化するわけだ。太字に注目。

すると Puella magi は奇妙である。magi は普通にとればここでは男性複数(主格)の形なのである。「魔法少女」と言いたければ Puella maga とするのが本当である。Puella magi では「少女および魔法使い達(男性)」という意味になってしまう。Puella は女性名詞で単数形、magi の男性名詞複数形とは接合しようもないのである。

かたや Magica が Magical(英)に当たるということは間違ってはいないが、こちらも女性名詞単数形であるということは注意が必要である。だから Madoka magica は「魔法少女まどか」で間違いないのだが、これが仮に男の子だったりすると(「誰得」という話ではあるが)、Daisuke magicus という形になる。「魔法使いダイスケ」である。便宜上自分の名前を使ったが、書いてみたらしみじみ情けない。

ともかく Puella magi Madoka magica と唱えてみると、ここでは男女の別も、単複の別も目茶苦茶になっている。これがこの世界にはよくあることなのだから困ってしまう。

訳もなく増えていく Magi

この magi を「魔術師」ないし「賢人」の意味の単語であると誤解させる文化的文脈というものが日本のアニメ界には隠然としてあるようなのだ。magi という単語が使われて、もっとも人口に膾炙している例となると、聖書に出てくる東方の「三賢人」trēs magī であろう。magi というこのままの形で英語としても登録されている。ただし発音は「メイジャイ」。複数形であることも通常明記される。ひるがえって性の区別、単複の区別を文法に持たぬ日本人がこの辺を誤解して magi は「魔法使い、賢人」の意味の言葉であると考えるのも不可思議ではない。まさかそこに「男性である、複数である」という情報も含まれているとは思わなくてもあながち不思議ではない。

Magi の誤用例としては、例えば『新世紀エヴァンゲリオン』ではマギ・バルタザール、マギ・メルキオール、マギ・ガスパールという三つセットのスーパーコンピュータが登場する。これが三つセットで「マギ(三賢人)」なのはいいのだ。だが、あくまでも「マギ」は複数形だ。一人ずつなら「マグス」である。一つずつ挙げるならば、その時はマグス・バルタザール、マグス・メルキオール、マグス・ガスパールとしておいて欲しかった。

エヴァンゲリオンにはこうした語学的に無茶苦茶なところがいっぱいあって、それが作中のマクガフィンとして結構有効に機能していた節もある。例えば、一人なのにどうして「サード・チャイルド」ではなくて「サード・チルドレン」なのかとか、日本語では「使徒」と呼んでいる敵が英語表記になると Apostles(使徒)ではなくて Angels(天使)になってしまうのは何故なのかとか、おそらく膨大な議論があったことだろう。十中八九は単なる間違いなのだろうが、この間違いが物語の意図された謎と相俟って、さまざまな解釈のネットワークを織りなしたりしていたのだと思われる。そういう遊び方もあるということだ。

だけど視聴者の側が作中のさまざまな不整合について解釈を戦わせて、かえって遊びとして充実するというのはいいとして、作る側も受け取る側も間違いを間違いとして気がついていないような節が出てくると、こちらとしては茶々もいれたくなろうというものだ。「マギ・バルタザール、マギ・メルキオール、マギ・ガスパール」なんて真剣な顔で言われると(なにしろ天才赤木博士の真顔のお言葉だ)、「全部で何人いるんだよ!」と突っ込みを入れたくもなる。少なくとも全部で六人はいるな、とか。

これは人から言われて気がついたことなのだが、だいたい「新世紀エヴァンゲリオン neon genesis evangelion 」というタイトルにも男女の取り違えがありそうだ。「新たな創世記 (genesis)」というのが「新たな世紀 (century)」とごっちゃになっているのはいいだろう。「記紀」なんていう言葉もあるし「記」と「紀」は互換扱いでもこの際かまわない(本当は大問題だろうけど)。だがギリシャ語と思しきローマ字表記の neon というのはどこに掛かっているのだろう。genesis に掛けたいのだろうが、あいにく genesis は女性名詞なのだ。「新世紀」としたかったのなら nea genesis となるのが本当だ。neon genesis evangelion を素直に訳すならば「創世記、新エヴァンゲリオン」あるいは「創世記、新しい福音」と言ったところか。これはこれで作品の内容にかえってフィットしそうだから困ったものだ。エヴァンゲリオンについては、なにか不正解の魅力とでも言いうるものが働いている。

珍しくも正しい使い方

ここは magi の話に戻ろう。『魔法先生ネギま』の主人公、ネギ・スプリングフィールド君は「マギステル・マギ」を目指しているのだということだが、ここでの Magister magi は意味が通る。magi が属格(名詞と名詞をつなぐ格。「〜の」みたいな役割)と解釈されうるからだ。Magister magi は「魔法使いのマスター」つまり「魔法使いの中の魔法使い」と言ったほどの意味として、作中の用語法と整合性を持つ。「ネギま」には語学ブレーンが付いているみたいだが、そこまでやらなくても皆こういう手法を真似すればいいのにと思う。つまり知ってそうな奴にちょっと聞いておけば済むことだ。

こうした例外を除くと、ともかく日本のアニメ・漫画界隈では、男女、単複の間違い競争をやっているような具合で、いたるところでへんてこな言葉に出会うことになる。

今回はフランス語の「男女の問題」のみに絞ってちょっと論ってみよう。

意図せざる男の娘たち

「祥子さまは、その紅薔薇(ロサ・キネンシス)さまの妹(プティ・スール)だった。」

高名な百合小説『マリア様がみてる』に登場する決定的とも言える誤用。原文では丸括弧内はルビである。ちゃんと「プティット・スール petite sœur」と言ってあげて欲しかった。言うまでもなくフランス語の形容詞は名詞に合わせて変化する。えてして発音も変わる。プティ petit だけじゃ男の子のことを言っているみたいだ。最近では男女倒錯型のお話が市民権を得つつあり、女装少年「男の娘」もひっぱりだこの様相だというのにである。そこにプティ・スールだのと出てくると、どうしたってこちらは「男の妹さん」のことかと……思わざるを得ない。「プティ・スール・アン・ブゥトン petit sœur en bouton」すなわち「まだつぼみのままの男の妹さん」という表現も頻出する。これが花開いた日にはいったいどうなってしまうのか今から心配である。タイの曲がりなんか気にしている場合ではない。

あと「お姉さま(グラン・スール)」ともあった。これもできたら grande sœur グランド・スールとしておきたい。grand sœur なんて聞くと……やっぱり「男のお姉さま」しか思い浮かばない。「花開いちゃった」方の……。ていうか、グランとか要らないだろう、言う必要ないんじゃないか。

(余談だがいま「プティ・スール」を Google で検索しようとしたら、検索フィールドの検索語予測に一発で「ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スール」が出てきた。すごい認知度だ。これつていてラテン語とフランス語をごっちゃにしていることを問題にしている議論もあるようだが、筆者はそこには不自然さを全く感じない。よくあることよ、それは。そもそも「ロサ・キネンシス」はおそらく薔薇の品種で、要するにラテン語というより「学名」でしょう。)

もともとこれは、ちょっと奇妙な世界観と、耽美で静謐な舞台で繰り広げられるプラトニック百合の魅力の物語である。それなのに私の脳裏では、すでに問題の学舎の中を「男の姉妹」が行き交っている。

同じ間違いが見られるのが、キヅキアキラ『モン・スール』。妹さんの早すぎる恋に悩む兄が登場する。モン・スールとは彼の妹のことを意図していると読める。しかし、ここは「マ・スール ma sœur 」としておいて欲しかった。モン・スールは mon sœur と綴るのだろう。mon は男性名詞(および母音始まりの語)に掛ける形である。mon frère (私の兄/弟)という風に使うのだ。モン・スールでは、やはり「僕の男の妹」が思い浮かんでしまう。キヅキアキラ氏は実力を認められた漫画家で、『モン・スール』はじめ初期作も軒並み新装復刊されている。そこでタイトルも直してしまうべきだったのではないか。

直しすぎると薮蛇だ

こうした間違いは、いわば端的に文法的な間違いなので機会があれば正したほうがいいとは思う。

もっとも名詞の性・数にこだわりすぎるとかえって事をこじらせることもある。直しすぎもまずいことがあるのだ。最後にフランス語に事寄せて、少し語学的な主題を深めておこう。

私はとある学会の仕事で、例会の司会進行が女性だったので広告と議事に modératrice (modérateur「司会進行」の女性形)の語を使ってみたら、ここは男性形のままの方がよいと本人から指摘を受けた。これは「役割」の問題だから、現実世界の指示対象が実際に女性であるかにかかわりなく、modérateur を使うのだと。ここで敢えて女性形にすると若干 péjoratif であると、つまり軽視しているような文効果が生じるというのが、説明のあらましであった。女性であっても professeur と呼び、ことさらに女性形を用いないのと同じことだとの話である。男女共同参画が厳しい社会ルールともなっているフランス、その一方で男性名詞と女性名詞を厳しく区別し続けるフランス、この二面性の合間で男女の呼称の揺れ動きは相当に微妙な問題となる。ことほどさように難しい問題が含まれた話題ではある。

男でも Elle とはこれ如何に

フランス語は名詞に男女の区別があると言っても、それは現実の性別に厳格に従うものではなく、あくまでも文の中で文脈に応じて区別されていくものなのだ。甚だしい例としては、指しているのが男性であっても、cette personne「この人物」と女性名詞で受けた場合、さらに後続する文で elle と受けることがある。サンテグジュペリ『星の王子さま』の序文から引く:

cette grande personne habite la France où elle a faim et froid. Elle a besoin d’être consolée.

この大人の人はフランスに住んでいて、お腹を減らしていて、寒い思いをしています。慰めてあげなくてはならないのです。

Elle と受けたのは、現実の指示対象としては Léon Werth 氏。男性である。

Elle はもちろん普通に言えば「彼女」の意味の代名詞だが、ここでは指示対象は男性であるにもかかわらず、前出の personne(女性名詞)を受けて elle と女性形に一致しているのである。すなわち、ここでの elle は personne の性に一致しているだけであって、「彼女」の意味ではない。むしろ「この人」ぐらいの意味で使われているのである。無論、ここで指示対象が現実に男性であることにより意識が向かえば、personne の直後で男性形を使い、il「彼」と受けることも出来る。この場合 il は直前の personne は無視して、指示対象自体に呼応する代名詞としてとらえられる。

男女の別を過剰に適用すると不自然な例もある

『カード・キャプターさくら』や『コレクター・ユイ』などは、女の子が主人公だからといって「カード・キャプトレス」、「コレクトレス・ユイ」とする意味があるだろうか。私ならそうするだろうが、これは少しやり過ぎということになるかもしれない。特に「コレクター」なら意味がかなりの人達にとって明確だろうが「コレクトレス」にしてしまっては、日本人としては少し意味がぼける気がする。こうした案配も、使う形を決めるための要因に成りうるということだろう。ところで「コレクター・ユイ」は何を「コレクト」しているのだろうか。「カード・キャプター」はカードを集めているのは自明だが、「コレクター」だけでは判らない。この辺の作品については、子供がスーパーの文房具コーナーで塗り絵を読んでいたのを通しての知識しか無いので、作中の事情についての知識はないのだ。

同様に柴田ヨクサル『エア・マスター』も主人公が女性であるということをもって「エア・ミストレス」とするには当たらないだろう。これは作中の事情からしても不適だろうと感じる。「エア・ミストレス」ではちょっとシナが出てくるというか、色っぽい感じがするというか、よもや空中を駆け回って男どもをなぎ倒していく格闘少女の話だとは想像できまい。ここでは『エア・マスター』という、私には明瞭に男性的に聞こえる響きがかえってタイトルとしての効果を上げている。「空中の支配者」の物語である。この「マスター」はもはや男女の別を超越した「超性名詞」として機能している。

第一かりに「エア・ミストレス」としてしまうと、なんだか「空気の入った愛人」の事みたいに聞こえる。それはやっぱりまずいだろう。

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Published in: on 2011/03/10 at 14:36  「まどか」は女の子なのか、男の子なのか、何人いるのか? はコメントを受け付けていません。  
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