具体の科学1「皮」をフランス語で何と言うか

具体の科学

かつてクロード・レヴィ=ストロースが『野生の思考』の冒頭で「具体の科学」というものについて触れていた。

悪名高き「原始心性」論を批判する文脈のなかでの話である。レヴィ=ストロース以前(構造主義人類学以前)にも、モースやマリノフスキーによって、旧来の文化人類学にいわゆる「原始心性 (mentalité primitive)」なる観念は公然と否定されていた。

「原始心性」とは要するに「原始的なものの考え方」のことで、事実上は蔑称に等しい。たとえばこういうものだ——いわゆる「未開社会」のなかに、「松、梅、桜」といった個別の樹種を指す言葉はちゃんとあるのに、総称的に「樹木」を表す言葉を欠いた社会があるという。「木」という漠然とした言葉、上位概念がない!

旧来の人類学者(よく引き合いに出されるのはレヴィ=ブリュル)は、こうした重要と見える「語彙の不在」を「抽象観念の欠如」と結びつけて、当該の未開社会は人の抽象能力、概念化、科学的思考の能力について欠くところがある、さらに言えば劣ったところがある、といったように結論しがちだった。未開社会民族の知性を「原始心性」と呼んで矮小化して捉えることがあったのである。「未開社会の人々って『原始的』で、よく判らないよね」と、言ってしまえば、一段低く見ていた。

そうした記述主義の人類学は、ネィティブ・アメリカンのポトラッチ、パプアニューギニアのクラ(クラ交易)などという、一見非合理に見える「未開民族の贈与合戦」を克明に記述しながら「なんだかこの人たち変なことをやっているなあ、よく判らないよね」と見ていた。ところがそこに、モースの『贈与論』、マリノフスキーの『西太平洋の航海者』などの記念碑的著述が現れて、これらの「奇妙な贈与合戦、複雑な交換合戦」が非合理どころか、きわめて合理的な動機に裏打ちされた有効な社会制度である、という議論が出てきたのであった。地域間・職能集団間の富の再分配に役立っている、遠隔共同体との価値の共有と確認を促す…… さまざまな副次的交易が文化・文物を社会ネットワーク上に行き渡らせていく…… なんとも優れた制度ではないか、と。原始的どころかきわめて洗練されたアイディアではないか、というのである。

こうなると「抽象観念の欠如」と見えた、上位概念がしばしば存在しない言語慣習にも、それなりの訳があって、それなりの役割が期待されていて、現地で見れば合理的で洗練されたシステムをなしているのかも知れないと考えたくなってくるのも道理である。そこでレヴィ=ストロースが説いたのが「具体の科学」なのである。西欧中心主義的には科学は抽象に傾くものであるが、ここに具体に分け入っていくというタイプの別種の「科学的思考」があるのではないか、自民族中心の偏見を捨てて、そうした「科学的姿勢」を適切に評価して理解することは可能だし、必要なのではないか、という主張である。

フランス語の具体の科学

そうは言いながらも、文化先進国をもって任ずるフランスのエリートの言葉である。レヴィ=ストロース御大にも、どうかすると抽象化というモーメントに価値を置く傾きはあり、事実として「親族の基本構造」の分析も、「神話論理」の分析も、中軸になっているのは大胆な還元主義である。具体の科学もまた、抽象的思考によって還元を経て「理解」され、「評価」されていくことになる。

ここで20年も前の話であるが、卒業論文でレヴィ=ストロースの思考スタイルを扱って、ひいこら言いながら未訳本を訳していた私には一つの大きな疑いが持ち上がったのであった。上位概念を欠いた「具体の科学」って、フランス語の振る舞いの実態でもあるのではないか、と。

フランス語は西欧言語の中でも著しく多義語が多い言語の一つである。一つひとつの語彙が、論脈、文脈で使い回されて、多様な意味を担っていることが多い。定量的には、フランス語の辞書は同規模の英語やドイツ語の辞書と比べると、第一に収録語彙数が少なめで、第二にエントリー当りの紙幅が大きい。一つひとつの言葉へのチャージが高いのである。したがって普通に考えると、フランス語は「抽象性の高い」上位語の使い回しが奨励されている、すぐれて抽象重視の言語であるということになりそうである。

しかしどうだろうか。フランス語の読解と作文にひいひい言っていた(今も言っている)私からすると、フランス語にはどうしてこうも「上位語」が欠けていることが多いのだろうかと困惑することが案外と多いのである。フランス人が「具体の科学」を行っているように、さらに言えば「原始心性(笑)」の持ち主であるかのようにすら見えることがある。

そこで日本語母語使用者としての偏見を交えつつ、フランス語の「上位概念の欠如」に困惑する場面を一つずつコレクションし始めた。一カテゴリーを設けて、そのお蔵出しをしていこうと思う。初回のネタは……

今日のネタ:皮

フランス語には上位概念としての「皮」が無い。人間の皮、牛の皮、毛皮、樹皮、チーズの皮、ジャガ芋の皮、ミカンの皮…… どれも要するに表面を覆うもの、日本語では全て「皮」である。ところが上の例にあげた語はフランス語に翻訳すると全て異なった語になってしまうのだ……

ミカンの皮 (zeste) とメロンの皮 (écorce) と林檎の皮 (épicarpe) は全て別! ただし左記 épicarpe は常用語ではない、植物学の専門用語。ジャガ芋の皮 (périderme) も、そのものをずばり指す言葉は植物学用語にしかない。以下の表はフランス語のコラムでソートしてある。

脳みその皮 cortex 大脳皮質
副腎皮質 corticosurrénale
< cortex
スイスチーズの外皮 couenne 発音はクワン。
豚の皮 couenne 料理用語。工芸上の皮革ではなく特にハムの外側にある部分。
チーズの皮 croûte
パンの皮 croûte パンの「耳」もこれ。
牛馬の生皮 croûte 鞣す前。
オランダチーズの赤い皮 croûte rouge 表面組織というよりコーティングの部分。
皮革 cuir 「革」。革製品に用いる。
頭皮 cuir chevelu 人の皮を cuir という例については他に entre cuir et chair 「皮膚の下に」すなわち「ひそかに」という熟語がある。
カバの皮 cuir du rhinocéros なぜか「犀の皮」。cuir は普通加工された「皮革」の意味であるが、河馬や象の皮について言うことがある。
樹皮 écorce 英語で bark に相当。
メロンの皮 écorce écorce は堅いという含意あり。
果物の皮 endocarpe 内果皮。むしろ種の周りの固くなったところ.
心の皮 enveloppe 心根を隠した取り繕い。うわべ。
果物の皮 épicarpe 外果皮。植物学用語。日本語で言う「果物の皮」一般は、このレベルまで抽象度を上げてようやく一致する。
犬猫の毛皮 fourrure
卵の薄皮 membrane 「殻」は coque
果物の皮 mésocarpe 中果皮。植物学用語。林檎や桃で言うと食べる部分で、普通はここを「皮」とは考えないだろう。
蛇の皮 mue ぬけがら。
兎の皮 peau
人の皮 peau 一番普通の「皮」。
猫や犬の皮膚 peau 毛皮は上記 fourrure。
わに皮 peau d’alligator
羊の皮 peau d’âne 羊皮紙のことだがなぜか「驢馬の皮」と言う。免状、とくにバカロレア資格のことをこう言う。
タマネギの薄皮 pelure d’oignon « pelure d’oignon » という連語自体が「ごく薄い」という意味で半ば形容詞化している。
果物の皮 péricarpe 果皮。植物学用語。内・中・外果皮の全体。
草の茎の皮 périderme 周皮。植物学用語。ジャガ芋の皮はこれ(地下茎なので)。
ちんこの皮 prépuce 包茎手術、割礼の対象。
見かけ surface 表層的な外面。上っ面。
栗の渋皮 tan
栗の鬼皮 tégument 植物学用語。普通には coque。ただし coque を訳すなら「殻」と言うべきだろうが、日本語では鬼皮と称するのでこの項に押し込んだ。ちなみに「いが」は bogue と言う。
柑橘類の皮 zeste

ついでに皮ではなく、「殻」だとどうなるのか。

亀甲 carapace
エビカニの殻 carapace
卵の殻 coque; coquille
貝の殻 coquille
牡蛎の殻 coque (古い); coquille
クルミの殻 coque, coquille
地殻 lithosphère ;
croûte terrestre ;
écorce terrestre

「剥く」となったらなんでもいっしょ

ミカンの皮とメロンの皮と林檎の皮は全部別と先に触れた。この中で「林檎の皮 (épicarpe)」は常用ではないとした。柑橘類の皮 (zeste) が常用語なのは、レモンの皮とかミカンの皮はレシピにもよく出てくる「特別な用途を持った部位」であるから理解出来る。それでは常用レベルでは「林檎の皮」のことは何と言っているのか……

多くの場合、何も言わない(!)のである。どうして何も言わないでいられるかというと「皮」を内在化した動詞があるので、林檎の皮に言及する時はその動詞でほとんど用が足りてしまうのだった。その動詞とはすなわち:éplucher

éplucher de la salade サラダ菜の傷んだ部分を取る
éplucher des haricots verts さやインゲンのすじを取る
éplucher des pois 豆をさやから出す
éplucher une pomme リンゴのをむく
éplucher des crevettes 小エビのをむく

ロワイヤル仏和辞典から引用した。強調は引用者。ご覧の通り、原文フランス語の文例には「皮」に当たる単語はない。それどころか、「痛んだ部分」「すじ」「さや」「皮」「殻」の全てに直接的な言及がないのである。「皮」ばかりか「痛んだ部分」「すじ」「さや」「殻」の全てが éplucher にビルトインされていることになる。動詞 éplucher は要するに「食べない部分を取り去って可食部分だけにする」という意味(!)の単語で、相手が「筋」だろうが「鞘」だろうが「皮」だろうが「殻」だろうが、はては「腐った部分」だろうがお構いなしである。

百歩譲って「皮をむく」と「殻をむく」は同じ「剥く」で同じ扱いであっても理解出来るような気もする。そもそも殻と皮は、栗の「殻」を日本語では栗の「皮(鬼皮)」と称するように、日本語フランス語間でもしばしば互換の場合があるわけだ。だが「インゲンのすじ」をどう言うのか言葉に詰まって、捜しあぐねた結果が「どうとも言わない」だったという衝撃は大きかった。上で「皮」をめぐってさんざん「フランス語の具体の科学」の局面を見てきたわけだが、しかし逆に éplucher の、かかる抽象性の高さはどうしたことだろう。日本語母語話者の偏見で言うと、どれも全く「違うこと」のように思えるのだが。

éplucher は peluche「糸くず」に連なる単語で、ピカルディー方言では épluker。もともとの意味は「夾雑物を取除く」といったほどの意味。

éplucher un champ 畑の雑草を取る
éplucher du drap ラシャの毛くずを除く

この最後の例が原義であり、19世紀リトレではこうした用法を第一義に上げてあった。

具体の科学、抽象の科学

この問題に気がついたのは海老を食べながら、甲殻類の「殻を剥く」をどう言うのか聞いてみたのだが、かなり学のあるフランス人がどうも歯切れのいい返事をくれないということに気付いたことから始まったのだった。

「殻を剥くってどういうの」と私。
「éplucher でいいんだよ」とR嬢。
「林檎を剥くのも éplucher だよね。それでいいのか。でも海老の殻自体はなんて言うの?」
「えっ? 殻? carapace かな……」
「じゃあ éplucher des carapaces でいいのかな」
「えっ? 違うよ、剥くのは海老だよ」
「えっ? じゃあ殻はどうするの?」
「えっ? 捨てるよ」

— Comment dit-on ça en français, pour “enlever ce truc”.
— On les EPLUCHE.
— On épluche des pommes aussi, ça marche? Mais comment dire ce truc même… ce “shell”.
— Quoi? “Shell”? Eh ben, on dit “carapace”.
— Alors, on peut dire “éplucher des carapaces”, bon.
— Quoi? C’est pas ça, c’est des crevettes que l’on épluche.
— Quoi? Alors comment faire pour des carapaces?
— Quoi? On les rejette!

全然、要領を得ないのであった。

そして「インゲンの筋取り問題」で混迷の度は深まったのであった。

「皮」と言えばすべて一括出来そうなことがらを、異様なまでに細かく呼び分けているフランス語の姿は、ラテンアメリカ少数部族に見られる「具体の科学」よろしく、我々が分けていないことを詳細に分割している。もし在ればさぞや便利そうな上位概念(「皮」)に一顧だにしない。

そうかと思えば、全く別のことと思えるような話までを一括して、éplucher の抽象性が一手に引き取っている。面白いことに、日本語の表現では「捨てる部分」に注目しているところ、フランス語では「食べる部分」にしか注目していないのである。そして「捨てる部分」の方にはいちいち言及したりしないのである。レヴィ=ブリュルだったら、これをして「原始心性」と定めし呼んだのではないか。

フランス語にはこうした相異なるモーメントの共存がほかにも幾つも確認される。フランス語の「具体の科学」は他にもある。続く。

【2015/04/18 増補:タマネギの皮】

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Published in: on 2011/11/27 at 16:47  具体の科学1「皮」をフランス語で何と言うか はコメントを受け付けていません。  
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