犁を犁と言う、猫を猫と言う、桶を桶と言う

英語に To call a spade a spade という表現がある。直訳すれば「犁を犁と言う」という意味だが、「物事をはっきりと言う、歯に衣着せぬ言い方をする」といったほどの慣用句である。これが何を起源とした表現なのか、ずっと気になっていた。

フランス語では appeler un chat un chat という言い方があって「猫を猫と言う」という表現になる。これは出典もはっきりしていてボワローの言葉(下に詳述する)であり、名句辞典などにもしばしば収録される有名な言葉だ。

さて、この「犁を犁と」「猫を猫と」言うという表現が気になりだしたのは、ギリシャ語では「桶を桶と言う」という表現があるということを知ったからである。国によって「犁」だったり「猫」だったり「桶」だったりと違っていて、面白いではないか。そういうわけで気にしてはいたのだが、特別調べたりはしなかったのであるが、ひょんなことから、この表現のポルトガル語版に突き当たり、そこからおおまかな伝承経路が見えてきた。

どうやら出所はプルタルコス。『モラリア』の一節(三巻代十六節、「スパルタ人の諺」)が起源と目されている。Ἀποφθέγματα Λακωνικά (178B) :

την σκαφην σκαφην λεγοντας
桶を桶という(ような率直素朴な男、と続く)

これは一般的な表現となったらしく、ルキアーノスなどにも見られる。Lucian, Quomodo Historia conscribenda sit (59, 41-42) :

τα συκα συκα, την σκαφην δε σκαφην ονομασων
イチジクをイチジクと、桶を桶と名指して……

さて英語の call a spade a spade は上のプルタルコスの「翻訳」に起源を持つらしい。訳者も大物で『痴愚神礼讃』で有名なロッテルダムのエラスムスである。彼が『モラリア』を翻訳した際に σκαφην(桶)があたかも σπάθη(犁)であったかのように lỉgṏ(犁)という言葉を使って訳したというのである。この件についてウィキペディアで一番詳しいのは何故かポルトガル語版で、そこでは「誤ってそう訳した」と明言されている:

Na Apophthegmatum opus, a tradução latina da obra de Plutarco feita por Erasmo de Rotterdam, no século XV, a palavra grega σκαφην (skafen) foi traduzida erroneamente como lỉgṏ, “picareta” . (http://pt.wikipedia.org/wiki/Chamar_uma_pá_de_pá 2012/08/25 閲覧、強調引用者)

この16世紀のエラスムスの翻訳が Nicholas Udall の手で英語化され、(1542) Nicolas Udall’s translation of Erasmus, Apophthegmes, that is to saie, prompte saiynges. First gathered by Erasmus に以下のように転写された:

Philippus aunswered, that the Macedonians wer feloes of no fyne witte in their termes but altogether grosse, clubbyshe, and rusticall, as they whiche had not the witte to calle a spade by any other name then a spade.

これが一般化したと思しく、例えばオスカー・ワイルドが『ドリアングレイの肖像』の十七章にも:

The man who could call a spade a spade should be compelled to use one.

ところが、この表現は今日のアメリカでは避けられがちということである。「スペードのエースのように真っ黒」といったアフロ・アメリカンを対象とした差別的罵倒表現との連想が働くことによるらしい。

既に触れたが、フランスではNicolas Boileau, Première Satire, 1666. によってよく知られる類似の表現 : appeler un chat un chat. が名高い。ここでは悪徳代訴人のロレ氏が当てこすられている。

Je ne puis rien nommer, si ce n’est par son nom. J’appelle un chat un chat, et Rollet un fripon.
私はなんでもその名の通りにしか呼びはしない。猫のことは猫と言うし、ロレのことはたわけ者と呼ぶ。

ロレは「猫が猫である」のと同様に自明な事実として「たわけ者」であると言うのである。強烈な当て擦りであるが、きれいにアレクサンドラン12音節で決めつけてくれている。シラノのアレクサンドランによる罵倒が思い出される。

ポルトガルでは「犁を犁と言う」の表現は:

Chamar uma pá de pá
シャベルをシャベルと言う(「はっきりと言う」の意)

とあって、上の系列の連想がそのまま通じるのだが、この他にも:

pão, pão, queijo, queijo
麦は麦、チーズはチーズ(「はっきりと言う」の意)

という表現があって、この「犁を犁と言う」型の表現にもともと親和性が高かったかもしれない。

ところで、イタリア、スペインではさらに変化してパンとワインに代わってしまう(以下全て「はっきりとものを言う」の意):

[it.] dire pane al pane e vino al vino パンはパン、ワインはワインと呼ぶ

[esp.] llamar al pan, pan y al vino, vino パンはパン、ワインはワインと呼ぶ

ドイツでは:

Man muss die Dinge beim (richtigen) Namen nennen.
物はその(本来の)名前で呼ばねばならぬ

Wir müssen das Kind beim Namen nennen.
子供はその名前で呼ぶべきである

などといった表現があるようだが、ちょっと味気ないか。同じように中国語では「实话实说」とか「直言不讳」とか言えるそうであるが、これはもはや解説というか説明であって、「犁を犁と言う」の翻訳・翻案とは言い難い。

日本語ならばどうだったろうか。生憎「AをAと言う」型の表現は日本語にはないが、「犁を犁と言わない」のが日本語の風潮かも知れない。

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Published in: on 2012/08/29 at 17:06  コメントする  

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