いっぽん、にほん、さんぼん問題の解決

さあ、はたしてマリーを納得させられるのか

前エントリー(「いっぽん、にっぽん、さんぽん」にリンク)で扱った「いっぽん、にほん、さんぼん」の「ぽん、ほん、ぼん」問題であるが、これにある程度筋の通った解明をみるべく考察を進めてみた。すると思っていたよりもややこしい問題であったことが判り、冗談のネタとしてはすこしハードコアに言語学的になり過ぎるうえに、詳述しなければならないことが多大であった。

平たく言えば真面目な長話になってしまいそうだったので、前エントリーに組み込むのはよしにしてここに一項を設ける。

さて上述の「ほん、ぽん、ぼん」問題は、定式化すれば「助数詞『本』の語頭音が /h/ /p/ /b/ と交替する現象」に説明を与えるということであるが、無論この交替は助数詞「本」に限らない。類例は多い。例えば「一発、二発」「一泊、二泊」「一歩、二歩」「一杯、二杯」「一敗、二敗」などの助数詞でも観察される。品、筆、分、編など、ハ行始まりの助数詞ならきれいに「ぽん、ほん、ぼん」の規則に従っている。
はじめは連声、連濁といった音韻環境の影響で音韻が転化しているだけのシンプルな現象かと見ていたのであるが、マリーが抗議していたように、等しい音韻環境の元でも同じように交替が起こっていないことを説明できなくてはならない。思ったよりも深い問題だったのだ。結論から言えば、これは狭義の音韻論の範疇ではなく、歴史音声学の主題であった。

/p/, /b/, /h/ の交替はかなり安定している

マリーからすると非合理極まりない、場当たりな交替現象のように見えるが、横軸に見るとこれだけ安定して使い分けられているからには何らかの筋道があるのには違いない。

.
いっ ぽん ぱく ぱい ぱつ
ほん はく はい はつ
さん ぼん ばく ばい ばつ
よん ほん はく はい はつ
ほん はく はい はつ
ろっ ぽん ぱく ぱい ぱつ
なな ほん はく はい はつ
はっ ぽん ぱく ぱい ぱつ
きゅう ほん はく はい はつ
じっ ぽん ぱく ぱい ぱつ

ではその筋道とは何か? まずは問題を簡単に整理しよう。

「いっぽん、ろっぽん、はっぽん、じっぽん」と促音で詰まったところに「本」が接続する時には /p/ 音が出てくる。すなわち「促音終わり」には /p/ 。

「にほん、ななほん、はちほん、きゅうほん」など「開音節・母音終わり」には /h/ 音。ただし「よんほん」にも /h/ 音。

「さんぼん」のように「撥音終わり」には /b/ 音。

解かれるべき問題

問題が幾つか見える。以下「 * 」は「実例無し 」の意味とする。

問題1)音韻環境が等しく見える「さんぼん:よんほん」をどう説明するか。なぜ同じ「ン音」に別の音が続くのか。

問題2)「*いちほん:いっぽん」「はちほん:はっぽん」「しちほん:*しっぽん」にみる「チ音と促音」の交替の不整合。

問題3)「きゅうほん:*きっぽん」と「*じゅうほん:じっぽん」の間の不整合。

いずれも音の転化が起こるに際して、同じように見える音韻環境に「同じ変化」が生じていない。しかし上の表における横軸の一貫性を見るにこれはかなりソリッドな(すなわち原因の一貫した)変化があったと推定される。

したがって仮説に「音韻環境が実は同じではなかった」と立てるべきである。

元の形は /p/ か /ph/ あるいは /ɸ/ ——ハ行転呼と唇音退化

通説として上代以前、古代日本語のハ行はパ行ないしファ行のような音であったとされている。まずスタート地点はパ行、すなわち「『本』の原形は『ポン』であった」というところから話を始めなくてはならない。すなわち「ポンが保存」されたり、「ホンに変化」したり、「ボンに変化」したと考えるわけである。

まず「ポン→ホン」の説明は最も一般的な説明で足りるだろう。

現代日本語ではパピプペポは外来語にしか使わない。パ行はほぼ日本語の音韻から追い出されてしまっている。

例外:
漢熟語「はっぴょう、おんぷ」;
オノマトペ「ぴかぴか、ぷんぷん」;
口話語における半濁音連濁(暫定的にここで命名した)「がんばり↔いじっぱり」「せけんばなし↔ばかっぱなし」「こっぴどく」「おっぴろげる」、これは撥音・促音に後続する条件変異とも見えるが、必ずと言っていいほど「卑俗」な情意性を伴う。(遠山一郎談話)

しかしもともとは日本語にもパ行があったのであり、音韻システムが全的に変化することでパ行はひとたび駆逐されてしまった。

段階1)古代の /*p/ が弱化して /ɸ/ になった(両唇破裂音のパ行が両唇摩擦音のファ行に)。

段階2)平安前後、語頭意外の /ɸ/ が /w/ になった(両唇摩擦音のファ行が両唇接近音のワ行に)。この現象を「ハ行転呼」と呼ぶ。例えば「かは→かわ(川)」。

段階3)ワ行が唇音性を順次失った。唇のすぼめがゆるみ「ヰ音」「ヱ音」「ヲ音」がそれぞれ「イ、エ、オ」に合流する。

段階4)語頭音として残存していた /ɸ/ がウ段のフ音 /ɸɯ/ を残して、あとはハ行に移行した。結果として現在のハ行は補充法的に複数の調音が混在した、混乱した行となっている。

ハ行は混成家族、「フ」も「ヒ」も継っ子

今日のハ行には目にもあやな混交が起こっている。まず、「ハヒフヘホ」のうち、フ音だけは実は「ファ行」に属すべき調音である。これは気が付いていない人も少ないだろう。現代人が普通に「ハヒフヘホ」と発音すると、フ音の時だけ唇がぐっと結ばれて「唇による摩擦音」になる。ファ行で「fa, fi, fu, fe, fo」と発音してみて唇の構えを確認してみていただきたい。そして改めて「ハヒフヘホ」と発音してみると、フ音の時にだけファ行の調音が紛れこんでいることがよく判る。fu というローマ字の綴りは伊達ではない。

またハ行一家のなかでは「ヒ」の音もよそからの借り物、継っ子である。こちらは意外と知られていない事実である。「ハヒフヘホ」とゆっくり発音してみると、上述の通りフ音の時だけ唇が集まってくるだけではない、ヒ音の時にもそこでだけ「舌が盛り上がって緊張する」のが判るだろう。ヒ音の時だけ、硬口蓋摩擦音が出されているのである。つまりヒ音のみは、舌が口の天井に接近してつくった狭い隙間を通る音になっている。

フ音の時だけ「唇の隙間が狭い」、ヒ音の時だけ「口内の呼気流出空間が狭い」。
日本語のハ行はローマ字で書けば「ha, hi, fu, he, ho」だが、IPA(発音記号)で書けば [ha, çi, ɸɯ, he, ho] のごとくである。

ハ、ヘ、ホは声門摩擦音、ヒは硬口蓋摩擦音、フは両唇摩擦音であり、それぞれ異なる調音点をもっている——つまり音を出す口の構えが異なる。こうしたややこしいことが起こっている原因が、上の4段階を経た音韻転化だったのである。この音の変化の全体をまとめて「唇音退化」と呼んでいる。唇音退化の好例としてよく例に上がるのは「花」。簡略化して示せば次の通りの変化を辿った。:

*pana > ɸana > hana 「パナ→ファナ→ハナ」

かたやフ音は完全な唇音退化はぎりぎり免れた「生きた化石発音」なのである。

それではこの音韻転化が「本」問題にどうかかわるのか

まずは原形が「ポン」であったとしよう。これに数詞がどの様に付け加わるのか。

意識はしていなくとも、体感として誰も自然にこなしている音の操作がそこに加わる。すなわち音の長さの調節である。数詞には「いち、さん、ろく」のごとき二字のものと「に、ご」のごとく一字のものがある。数を数える時、こうした不整合が邪魔になる(たとえば秒読みの時などに顕著。あるいは縄跳びで回数を数える時)。そこで人は誰でも自然に「にーい、ごーお」というように一文字数詞には母音を足して発音する。電話番号を口頭で言う時なども、かならず「にい、ごお」と伸ばすのが人情である。この一文字数詞における母音の強調が一つの結果を生み出す。すなわち「に+ぽん」、「ご+ぽん」のケースでは、前章に説いたように歴史的に不安定だった /p/ 音を支えてくれる音韻環境がなかった。脆弱な /p/ 音は響きの強く長い母音に前後を囲まれ、その結果「唇音退化」は順調に進行して、もともとの両唇破裂音が摩擦音に変化し、さらには唇のすぼめが弱まって(唇音退化)、けっか声門摩擦音におさまる。そして「にほん、ごほん」という発音に帰着することになる。

「ポン」はいかにして残存しえたか

これに対して「いっぽん、ろっぽん、はっぽん」は「いち、ろく、はち」が連語成分となるために、元来入声[(にっしょう):この入声については後述]であった語末子音に日本語特有の事情で添加されていた語末母音の脱落がおこる。しかし音節の拍(モーラ)は維持されるため、音のリズムは変わらずに脱落音韻の持っていた音長が無音部によって代替的に維持される。これが促音の生じるメカニズムであり、促音は「っ」で表記しているが実際には「音」ではなくて、その本質は「無音のタメ」みたいなものである。「っ」の一字は音楽の休符の役割に近い。音を出さずに次の音を待つのである。この「無音のタメ」には思わぬ副作用があり、これが古い音韻の両唇破裂音——すなわち「ポン」の音を維持する条件になっていたのである。この「無音のタメ」は後続する子音を強く強調する効果を持つ。まして黙って口を閉じていれば、次に出る音は自動的に両唇音になる。これで「ポン」は上手いこと古来のステイタスを保存しえたのである。[注:この段につき指摘をうけ、上の[]部と続く部分に加筆した。加筆の意図は「いち、ろく、はち」にも、もとより後述されていた「じふ」同様に入声があるということの明示である。指摘者氏(はてなブコメ)に感謝。(2015/04/20)]

「ボン」の成立、複合同化

それでは「生きた化石のポン」と「唇音退化の結果のホン」はよいとして、「ボン」はどうするのか。これは「三本」のときのみ起こっている現象であるが、わりに平凡な同化の例と見ることが出来る。平たく言えば前後の音が同化する、ということであり /san/ + /pon/ で前者の /n/ が後者の /p/ に同化して両唇性を獲得し /sam/ となる。かたや後者の /p/ は前者の /n/ の有音性に同化して /bon/ となる。あわせて /sambon/ という音韻が獲得される。これは多分に共時的な説明であって、実際の歴史的経緯がこの通りであったかは解らない。移行段階がどうなっていたか、例えば写本の誤記などから推定していくという、もっと地道な検証が必要となる。国語学の専門家はそこまでやっているはずであるが、いま日本語の書物を参照できない筆者には上のような議論が精いっぱいである。もって寛恕願いたい。

ヨンホンとナナホンはどうするの?

さらに「それではヨンホンは何故にヨンボンにならなかったのか」、そして「シチホンは何故にシッポンとならなかったのか、なぜナナホンばかりが目に付くのか」という問が残っている。マリーならずとも「おかしいです!」と言いたくなるところだ。

これが実に、ヨンとナナの特別性に起因していると考えられる。ヨンとナナは他の数とは出自が違うのである。なんだか『冬のソナタ』と『NANA』の話をしているみたいだが、韓流ドラマの話でもマンガの話でもない。

「ただでさえ話が長いのに! 脱線しないで下さい!」
「わざとだよ?」(上目遣いで)

とか言っている場合ではない。数詞には漢語系のものと、和語系のものがある。「イチ、ニイ、サン」は漢語系で「ひい、ふう、みい」が和語系である。もうお気付きになられたろうか、「ひい、ふう、みい、よー、いつ、むう、なな、やー、ここの、とお」と和語で数えれば判るとおり、「よん」と「なな」は和語の系列である。「よー」と「なな」は漢数字「四(しい)、七(しち)」と音韻上は直接の関係を持たない、大和言葉系の代理語だった。

「よー」が大和言葉系のなかで特に数詞の読みに強く残存したのは何故かといえば、「死」の忌み言葉「し」が厭われたということが一因とされている。「し」は平安時代から続く根強い忌み言葉であり、たとえば室町時代の『祇園会御見物御成記』献立表に「二、三、よ、五」とあるという。あからさまに「四(し)」を避けている。ジョアン・ロドリゲス『日本大文典』は十六・十七世紀の証言であるが、この時代になお、概略「忌み言葉として『し』は嫌われ四は読みの『よ』を使う」としている。「読みの」とは和語、訓読みの、ということだ。ことほど左様に「よ」と「し」は互いに流動し合う関係にあった。

さらに漢数字「四、七」にあてて「よん、なな」なる(とくに「よん」と確固たる二文字の)発音をするのは東京では数詞の整備を目して二十世紀に定着した習慣に過ぎないらしい。「東京では」と断ったのは大阪ではこの習慣がもっと早くからあったという話があるからだ。「く」に代わって「きゅう」が定着したのも同時期と見られる。(大槻文彦『口語法別記』1917、所載は國語調査委員會「口語法別記」in『口語法・同別記』勉誠社(1980))以上二段の説明は「ウィキペディア:四の字」の項に見た。

「しい、よん」「しち、なな」は同じ人でも局面によって無意識裏に使い分けられている

この「よん、なな」の異質性 hétérogénéité(発生の違い)は日常的にも確認できることで、平常「いち、にい、さん、しい」と数を数える人でも、電話番号や小数点以下の数字の羅列を読む時には「しい」ではなく「よん」とすることが多い。「しし、じゅうろく」「しちしち、しじゅうく」なのに「3.14159…(さんてんいちよんいちごーきゅう)」「1.73205…(いってんななさんにーぜろごー)」なのである。πや√3を繰り広げるのに小数点以下に「し、しち」の発音を用いる人が近くにおられたら御一報下さい。なぜそうしているのか訊かなくちゃならん。

同様に「しち、はち、きゅう、じゅう」と数え上げる人が「じゅう、きゅう、はち、なな」と数えおろす時には掌を返したように「なな」に訴えたりする。この大和言葉系の「よん」と「なな」は数字をヨリ客観的、羅列的に述べる場合には、漢数字本来の読みの「し、しち」に代わって突然登場することになる。
話もどって、「よんほん、ななほん」にが成立したのは数詞の整理を経た、割に最近のことだったということである。つまり「さんぼん」と「よんほん」の音韻環境の一致も事後的なものに過ぎない。「よん」と「なな」の数詞としてのステイタスがはるかに遅く確立したのだ。そして「よん」と「なな」が「ほん」と結びつく時は、唇音退化の時代よりもはるかに後代にあたり、すでに「ほん」は「ほん」の形に変化済みだった。ここから新たに転化が起こる余地が無かったのである。

のこるはキュウホン、ジッポンの不整合

これは二つの線から説明できる。まず「きゅうほん」の成立は前章「よんほん、ななほん」同様に新しいと見られる。古来の「く」に代わって「きゅう」は、前段に説いた「し→よん」「しち→なな」の数詞整理と同時期に「九」のスタンダードな読みという立場を確立する。ことほど左様に「きゅう」そのものが新しいものなのだから「きゅう+ほん」の連語の成立も新しいのは当然だ。「九人」は「きゅうにん」よりも「くにん」であろうか。このケースではヨリ古い「く」が「きゅう」に拮抗して残存している。「くにん」ならば古い形として検討に登る。しかし「きゅうにん」の方は近代に接ぎ木された新しい語彙であった。「きゅうほん」も同様である。こちらのケースでは「くほん」は使用頻度がぐっと下がる。ほぼ新しい「きゅうほん」に駆逐されてしまった。

「じっぽん」の形は先にも触れた「促音便に伴う古音の保存」で説明には足りよう。問題は何故に「じゅうほん」がないのか、ということである。しかしこれは実は「偽の問題」であって、「じゅう」という読みそのものが起源的なものではない。むしろ「じっ」という慣用的な促音便の方が、漢数字「十」の起源的な発音の痕跡をありありと残すものである。

「じゅう」の最後には子音があった

日本語は開音節言語、すなわち音節末に母音があるのが通常である。しかし漢語(中古音)など漢字圏の言語は閉音節——すなわち「音節を子音で閉じる」のが普通のことだ。特に古代中国語(中古音)では音節末子音が短く詰まるように発音される「入声」という音韻が顕著であった。

そして「十」はこの入声を語末に持つ語であった。印欧語比較文法でもそうだが、数詞は古形推定の重要な手掛かりである。ひろく伝播して、わりに形が安定している。むろん伝播先の各国語流にそれぞれの便宜にしたがって転化・改変を被るのだが、そこに法則性さえ見いだせるならば「形が変わっている」ことはむしろ古形推定の有効なデータになる。一般論として言語学者が複数の言語を比較する時に「同じ、あるいは似た形がある」ことにはあまり過分に注目しない。言語学者が興奮するのは「そろって違う形が対応している」場合である。

閑話休題、ともかく「十」は入声の残存を漢字圏各国語に刻んでいる、言語学的に好個の一語なのだ。

十のいろいろ(ウィキペディア:入声にみる。*引用に辺り声調調値を示す符号を省き、項目を並べ替えた)
中古音推定形 [ʑip] 呉音:ジフ 漢音:シフ 普通話:shí 台湾語:sip / chap 広東語:sap 上海語:[zəʔ] 朝鮮語:sip 십 ベトナム語:thập

中古音推定形をロマナイズすれば dzyip 、これは大枠「ジプ」というほどの発音である。この語末の p に注目、入声の痕跡が各国語に残る——例えば子音の響きのバリエーションの豊富さを誇る朝鮮語は「パッチム」というかたちで入声を中国語以上にありありと保存している。その一方で入声は中国語普通話では消失している。上記「普通話」の項目を参照。さて、「十」の古形推定形に見る -p が入声であり、こうした語彙を古代日本語が取り込む時にはどうしても無理を通さざるを得なくなる。なにしろ日本語は開音節オンリーの言語である。語末閉音節の語形や表記法(さらには感受性)がないのに、この入声の語末音節内破音をなんとか表現しなければならない。そこで「ジフ」などと訓じてお茶を濁した。

この語末内破音の表現形としては、「じっぱ」(十把一からげ)「じっこ」(十個)などといった語に残る「促音便」の方が遥かに原形の実態に近しいものと言える。「じっぽん」(十本)もこうした系列の一つであり、ある意味ではまことに由緒正しい語形である。

「じゅう」も「じゅっぽん」も後発

上の「ジフ」はその後、こちらは唇音退化に伴ってハ行子音は消失し、あわせて二重母音が長音化した。つまり「フ」が消えて、母音「イウ」が「ユー」となった。結果生まれた語形が「じゅう」である。

つまり音韻「じゅう」の成立は事後的なものである。とくに「じっ」と訓じられていた語彙にも「じゅう」を適用する例が後代に出てくる(江戸期以降)ということだ。「じゅっぽん」はその頃にでき上がった、事後的な転訛の定着であり、「じっぽん」よりも何百年も若い。まして「じゅうほん」はいまだ定着のない、幽霊語形だということになる。

まとめ

「ほん、ぽん、ぼん」の交替は単なる音韻現象ではない。音韻現象としては説明の付かない不整合があるが、このレパートリーには数々の時代差が刻まれており、歴史音声学の範疇である。以下に語形の解題を簡潔に再掲してまとめとする。

いっぽん 原形「ぽん」が前接する「いち」の語末母音脱落、促音便化によって保存された
にほん 母音間に挟まれたという条件下で、唇音退化が進行し「ほん」に結実
さんぼん 発音の音色については遡行同化、「ぼん」の有声化については順行同化が起こった
よんほん 和語「よ」が数詞整備によって「よん」となり「し」に代わって、成立済みの「ほん」に後代に接ぎ木された
ごほん 母音間に挟まれたという条件下で、唇音退化が進行し「ほん」に結実
ろっぽん 原形「ぽん」が前接する「ろく」の語末母音脱落、促音便化によって保存された
ななほん 和語「なな」が数詞整備をへて「しち」と交替し、成立済みの「ほん」に後代に接ぎ木された
はっぽん 原形「ぽん」が前接する「はち」の語末母音脱落、促音便化によって保存された
きゅうほん 母音間に挟まれたという条件下で、唇音退化が進行し「ほん」に結実。ただし「きゅう」の語形は後発
じっぽん 中古音の閉音節入声の日本語における表現形として促音が用いられ、これが原形「ぽん」を保存して接続した

以上、あまり学術的でない大鉈の解説である。専門諸氏には転倒した説明と見られる部分も多かろうと思われるが、大きい枠組みは示すことが出来たと考える。

マリーさんに会いたい!

最後に、前エントリーを目にした知人から「マリーさんって『千反田える』さんみたいですね、どんな方なんですか、わたし気になります!」という声が上がった。それも一人や二人ではなかった。ぜひ紹介してくれという声まであった。

お断りである。しかしそれとは別に、まず明確にしておかねばなるまい。

マリー=シャルルは小説『氷菓』の描写、あるいはアニメ版の絵柄、いずれと見比べても千反田えるとは似ても似つかない。皆さんのご想像を裏切ってしまい恐縮である。なるほどたいそう目が綺麗なのは確かだが、わたしに躙り寄って下から「気になります」と見つめてきたりはしない。

だいたい彼の方が背が高い。彼が「おかしいです!」と詰め寄る時は、その長駆を折って、むしろ小柄なわたしに覆いかぶさらんばかりである。

いや、勘違いしたあなた方が悪いのであって、わたしのせいではないですよ。

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Published in: on 2013/03/05 at 18:02  コメントする  

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