バズワードの廃滅に向けたアジテーション

見える化、リーダビリティ……貧困化する造語形成力について

ビリーバビリティ

あるところで「ビリーバビリティ」というカタカナ語をみかけた。文脈としては、とある物語の設定というか、ディテールを取り上げて「ビリーバビリティがある」と言うのだ。「信じさせ力」といったところか、語りに説得力があるといった程の意味だろう。

「信じさせる、信じられる性質・力」といったほどの形容詞の名詞化といえばすでにクレディビリティ credibility という単語があるが、これとは使いわける訳だ。ここで言うのは「信頼性 credibility」ではなく、嘘を何となく信じさせてしまう「信じさせ力」なのである。なるほど。

だがこうした「信じさせ力」みたいな言葉がさいきん瀰漫しているようで、そうした傾向にはやや眉間が皺む。つまり believability にしても、わたしがここででっち上げた訳語「信じさせ力」にしても、語形成が安易で……なんというかちゃちな感じがする。

リーダビリティ

最近よく目にするようになった言葉にリーダブルとかリーダビリティというものがある。かくかくの本は「リーダビリティが高い」といった使い方をする。「読みやすい」といった程の意味になるかと思う。

個人的にはこの単語は使いづらい。「読みやすい」という語のリーダビリティの高さに対して「リーダビリティ」はリーダビリティが著しく低いように思うのだ。ほらな、こういうバズワードを振りかざすとどんどんイリジビリテが高まってくるわけだ。

イリジビリテは「読みにくさ・不可読性」のことである。イリジビリテはフランス語としては普通の言葉である。むろん上のごとくに日本語に混ぜる筋合いはないが。( lisibilité はラテン語「読む legere」に由来する [esp. legible ; ital. leggibile.]。かたや illisibilité はその否定形である。しかしこの単語、なんで英語には入らなかったんだろうか? じつは今の今まで *lisibility とか *illisibility なんていう単語が英語にもあるものと思っていたのだが、ODE にも OED にもなかった)

古典語語基の衰退

本論のポイントは上に挙げた credibility とか lisibilité といった語形が忘れられつつある、あるいはそれらを支えた credo / credere(信じる)とか lego / legere(読む)といった基語が等閑視されつつあるということ、これが案じられてならない。ラテン語やギリシャ語を使ったもともとの言葉が存在するのだ、それなのに believability であるとか readability といった言葉がその隣に新たに誕生し、蔓延しなくてはならないのは何故なのか。

むろん既存の語彙とは異化が生じるからこそ新語が持ち出される意義が生じる。そこは判る。

英語圏での使い分けを論じられるほどの語感がないので確かなことは言えない。が、believability にしても readability にしても語構成が安易というか、こういう時に古典語を語基として持ち出すという古きよき伝統が失われつつあるようで、やや切ない。というか造語力の貧困化を危惧している。

「古典教育の衰退」

危惧の対象はもちろん英語ばかりではない。これは昨今の日本語における「古典教育の衰退」および「漢籍の知識の減退」とも結びつく話だ。さあ、おじさんのお説教が始まるぞ、という感じだが、しばしお付き合いあれ。

つまり問題は「みえる化」なのである。上で捏造した「信じさせ力」なんていう珍妙な造語すらがわりに簡単に受け入れられるような風が昨今あるように思う。

わたしは「みえる化」とか「じぶんごと化」といった言葉をやや半ちくで洒落臭いものだと感じている。だからこそ異化が生じて使う意義も出てくるにせよ。believability や readability にも近いものを嗅ぎつけている。いったん古典語の層に降りていかないで、即物的に眼の前の語から強引な語尾付加をするだけで派生形を新造する。

「可読性」という語を、さらにはもっと判りやすい「読みやすさ」という語を振り捨ててまで「リーダビリティ」と言いたくなる心性は何に由来するのか。「リーダビリティ」を云々するひとびとには「リーダビリティ」について配慮する気遣いはないのだろうか……そんな意固地を張ってしまう。

あるいは——「可視化」という言葉があったところに「みえる化」という新語が持て囃されなければならなかった動機は何なのか。

確かにメールのccって、「じぶんごと化」しづらいですよね。ぼくは「意味のあるcc」と「そうではないcc」があると思っていて、たいていは意味がないものだと感じています。(http://wired.jp/2014/08/13/startup-cytajp/2/

「測る化」も目にした。これは対抗馬の「測れる化」ならまだ理解の範囲だが…… -bility という語尾に ability の含意(語根)があるように、「〜化」とするにも「もとの動詞」が可能動詞相当であることが必要なのではないだろうか。

「出来る化」はまだ理解可能だが「する化」はちょっと意味が判らない……というか。「出来る化」という造語を通用させることは「出来る化」出来そうだが「する化」が「出来る化」する化しない化は微妙なラインにあるような気がする。ちょっと化いてて混乱した。いや、やはり「可能」のニュアンスはビルトインされていないと語義があいまいになるように思う。「はっきりしない化」するのである。

いずれにしても、こうした半ちくバズワードを多用することで早期の廃滅を望むのは危険思想だろうか。

加熱することで「食べれる化」します。

さらなる速球の「投げれる化」のためには下半身の「走れる化」がまず前提になります。

といった具合に、いい加減な造語を「作れる化」していくことでさらにイージーな「読める化」をはかるのである。マジで流行りそうでいやだな。

「〜力」で新書の「売れる化」をはかる

「〜化」の蔓延に先駆けて出版界には「〜力」の瀰漫も見られた。

決定的だったのは『老人力』(1998) だろうが、その後も『鈍感力』(2007) とか、『手抜き力』(2014) とか続出し、こうしたタイトルは新書を売るための有効な類型と見做されるに到っている。「こつ」は本来ならばネガティブな含意のある言葉を「よいこと化」して取り上げて積極的な価値を「見える化」することであろう。為末大『諦める力』(2013) などはもう名詞化も「諦めて」たんに動詞の連体修飾で済ませている。上掲書は示唆深い好著であるが、一著の善し悪しに拘わらずこんにちの啓蒙書一般が安易に「〜力」で読者を釣ろうとしている傾向、というか馬鹿の一つ覚えには強く警鐘を鳴らしたい。

いや、ここはわたしも「正直力」を発揮して、本心を「見える化」しておけば、自分もあやかりたい、泥鰌がいるものなら三匹目だろうが四匹目だろうが掴みたい。「掴める化」したい。

「ネガティブな姿勢」を積極的に再評価するブームに乗って、すぐに崩れてしまう、諦めてしまう、厭になってしまう力の「有効活用」を説いた問題作、たとえば『萎える力』を上梓するというのはどうだろう。

これが評判になった暁には、二匹目のドジョウとして『めげる力』、以下『ひるむ力』、『尻込み力』、『棚上げ力』など問題作が続々。問題回避特化型の思考法を是とする人々のバイブル。「明日出来ることなら今日やるな」、「困難だと思った時はやめておけ」、「成長するより安全確保」——青年のこころを挫く身も蓋もない真理が続出する。ただ現状維持のみを望むビジネスマン必携。「身も蓋もない化」叢書である。

『してはならない7つのこと』

……みたいなタイトルも引きを切らない。こちらも「掴める化」しておきたいものだ。

だいたいこうしたタイトルの本の著者は、読者はせいぜい十ぐらいまでしか数えられないだろうと見くびっているのか、「しなくてはならないこと」も「してはならないこと」もせいぜい七つ、八つぐらいにとどめるのがベターな方策のようである。だがわたしは読者を見くびらない。「見くびらない化」である。(だんだん適当になってきた)

数え上げられるものなら幾つだって数え上げておきたい。

ということで『大学在学中にこれだけはしておきたい5467個のこと』なんていうのはどうだろう。合計15000頁の大著で、新書判では実に40巻に及ぶ。最高学府で万事「出来る化」にいたる道を「読める化」して教え諭した、「進学する意味」をまっこうから問う大著。なんだ、洒落で書いたのに良書になりそうな勢い。

『海外留学を快適に過ごす6787の注意点』。上の類書である。こちらは100巻に及んだが、北アフリカ酷暑の砂漠から極地厳寒の氷原、あるいは民族浄化中の圧政下、あるいは巨大麻薬シンジケートが抗争中で法執行機関が壊滅した都市……などなど世界のいかなるところに留学しても快適に過ごせるように、ありとあらゆる歴史・地理的出来事から「妥当な対処法」を抽出した問題作。マーシャルアーツからサバイバル法、はては正しい賄賂の払い方、仲間を密告して敵に取り入る方法まで盛りだくさん。勉学などにかまけている暇なし、まずは「生きのこり力」の「測れる化」である。

火星テラフォーミング・コロニー留学の項については共同執筆者間に意見の齟齬が生じ、現行の改版バージョンと従来の初版バージョンは好事家の間では「ゴキブリ有り版」と「ゴキブリ無し版」として区別されている。

なんだか「マンガばっかり読んでないで小説の続きを書け」という叱責が聞こえてきそうだが、ちゃんと書いてますよ、ほんとうですよ。

いっそ全部盛りでいったらどうなのか

ということで、このさい「全部盛り」もいいだろう。「〜力」も「〜化」も「〜ならない7つのこと」も全部のせていこう。ミックスフライ・カツカレーハンバーグ定食(実在する)というか、五目うま煮餡かけ天津葱味噌塩バタコーンチャーシューメン(これは知らない)という感じである。

『不況下を生き抜く「雑草力」を「見える化」するためにしなければならない7つのこと』なんていうのはどうか。うわ、ある意味ありそう。

『デフレ経済を低空飛行する「居直り力」を鍛える8つの「やらない化」のすすめ』とか。これもありそう。「あるある化」である。

内容の方はどうかというと……いや、内容なんかどうだっていいんじゃないの。中身なんか「気にしない力」ですよ。

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