「バー」のインフレーション

今回のネタは大変ニッチなものなので、読了して不毛だったとお感じになる向きが多くなると想定されますので、忙しいひと向けのまとめ: 「釘を抜く道具」が「釘」という名前、「錆を取る薬剤」が「錆」という名前だったらびっくりだが、「バリを取る道具」は「バリ」と言う。以上。

バリというものがある。この「バリ」なる用語がもっとも卑近に飛び交うのはプラモデル業界だろう。プラスチック成型のための金型の合いが悪いと、パーティング・ラインすなわち金型の合いの隙間のラインにプラスチック素材の「はみ出し」が生じる。日本のプラスチック金型成型の精度は大変高く、昨今では目にすることも少なくなったが、はみ出しが板状になってパーティングラインに背びれのように立ち上がることもかつてはよくあることだった。

この「はみ出し」部を業界用語にバリと呼ぶ。直接の由来は知らないが英語の burr(バー)が語源に近いだろう。 あるいは金属の切削加工の際にもバリが生じることがある。たとえば材に溝を切削するとして、旋盤、フライス盤などで施した切削溝の立ち上がりのところに、素材の変形や切片の固着などが起こって、薄片状の余剰部分が残る。ボール盤(ドリル)などで金属に穴を開ければ、穴の縁にぎざぎざと材の余剰部が立ち上がる、これもバリである。 プラモの場合も切削加工の場合も、出来上がりの品質を高めようと思えば、このバリを切除してやらなくてはならない。

そこで用いられる特殊工具が「バリ取り」である。 そこでだが、このバリ取り工具、たいていは高硬度ハイス鋼の切削工具だが、これを「バールのようなもの」でおなじみの「バール (bar)」と区別して業界では「バー (burr)」、あるいは奇妙なことだが「バリ取りバー」などと呼ぶ。この「バリ取りバー」という言葉の語感がたいへん好ましい。 しかし「バリ取りバー」の語構成はちょっと奇妙である。burr は「バリ」のことであるから、逐語的に分析すれば、字義通りには「バリ取りバリ」と言っていることになる。

英語では deburring tool ということになるが、これを deburring burr と言ったら変なことになるだろう。だから「バリ取りバー」は言葉の移植の都合で生み出された変な「和製英語」つまりは珍妙な日本産の奇妙な果実だと思っていたが、実情はさにあらず……バリ取りバーのトップメーカー、 Noga Engineering 自身が自社のバリ取りバーに Noga Burr という名前を付けていた。

塵取りに「塵」って言う名前を付けるような話だ。あるいはテープ剥がしに「テープ」という商品名を付けるような。ちょっと不思議な感覚がある。

さて、問題のノガ http://www.noga.co.jp/ は専門家向けの総合工具メーカーだが、なにより「バリ取りシステムのパイオニア」を自任している。業界にまずもって名の挙がる、バリ取り界の雄なのである。皆様におかれては、バリ取り界などという世界があることを初めて知ったむきも多いだろうが、斯界の第一人者がこのノガ。日本でもバリ取りバー界に寡占を達成しているようだ。

溝のバリ、穴のバリ、様々なバリの出現機序に合わせて、それぞれ専門のバリ取りバーがある。素人がちょっとみると、いずれもデザインナイフの刃の代わりに「?」みたいな、あるいは「Γ」みたいな棒が突き出ているだけの取るに足りない工具に見える。しかしこの「棒」は金属素材のバリをさくっと削り取る、精密に造られたハイス鋼の「刃先」なのである。 さすがにノガの「バリ取りバー」の製品バリエーションを眺めていると、「バー」の一語がゲシュタルト崩壊を起こして眩暈がしてくる。

主力商品、社名を冠した「ノガバー」は「ノガバー3」「ノガバー5」がラインナップの中心、素材もハイス鋼から、さらに硬いコバルトハイスまで取り揃え難削材でもさくりとバリを取る。「マジックバー」「テレバー」も汎用性が高い。「テディーバー」は精密作業用。重切削用「スーパーバー」、ハウジング強化型「ラピッドバー」などの特殊用途バーも見逃せない。果てはダイヤモンド・コーティングの超硬材切削用バーまで、品揃えは豊富だ。

特に「スーパーバー」の勢いあまった命名に感動。

材の向こうで手の届かない穴の縁に座繰りエッジをつける「裏座ぐりバー」「ミニ裏座ぐりバー」「ジャンボ裏座ぐりバー」も便利。Oリング溝には「Oリングバー」、キー溝には「キー溝バー」、シートメタル両面バリ取り用には二叉の刃先が表裏を挟み込む「ダブルバー」。奥深きかなバーの世界。注目は名状しがたいバールのようなものばかりではありませんよ。バーも、バーもあるのです。 だが話の初めに触れたように「バー」「バー」と繰り返されるこのバーは本来なら「バリ」すなわち、これらの工具によって「取り去る対象」のことなのだ。違和感とゲシュタルト崩壊感の二重螺旋運動に眩暈が。

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Published in: on 2014/11/26 at 12:10  コメントする  

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