エゴサ

エゴサの意味が変わりつつあるという。Twitter で「を/でエゴサ」を検索してみよう:

  • この時間に「なう」でエゴサしてふぁぼってくるアカウントなにもんや
  • 4年前声優になると豪語していたN君は元気だろうか、彼の名前をエゴサしても引っかからないのはきっと芸名使ってるからだよねそうだよね(棒読み
  • 彼の名前をエゴサしたら「[彼の名前]ならアマゾン」という人身売買をしている脅威のアマゾン先生が垣間見えた
  • 月曜から夜ふかしに出ていた地下アイドルの名前をエゴサしているんだが分からない(>_<) 知っている人教えてくらはい(^-^)
  • 大嫌いなツイッタラーの名前をエゴサして、俺より潤ってないのを見て鼻で笑うのが楽しくてしゃーないわ!!!
  • 1日に何度か好きな絵師さんの名前をエゴサして監視してる

あきらかに自分以外のものを「エゴサ」する動きが始まっているのである。エゴ・サーチが省略されてエゴサになり、さらに「自分を」という含みを失って、単に「人の名前を検索する」といったほどの意味に使われている。意味の拡大が生じている。

すると、これに憤る人も出てくる。

  • 「エゴサ」という言葉が「検索する」くらいの意味合いで使われている事例を多く発見、これより排除行動に移る。
  • エゴサ(エゴサーチ)のことであり 自分の事以外で検索する際に エゴサ と使うのは適してない (個人論)
  • 検索のことをエゴサと呼ぶな 携帯で写真撮ることを写メと呼ぶな

しかし個人的には「エゴ・サーチの原義は『自分を+検索する』ことですから!」と眉を吊り上げて指弾する気にはなれない。

だって「エゴ・サーチ」だなんて、もとの言葉が随分へんちくりんだから。セルフ・サーチとでも言っておけば良かったんだよ、はじめから。変なところにラテン語をつくりつけるから変な具合になっちまっている。

ego っていうのは主格 nominatif の形(対格目的語ならば曲用して me)なんだから、もともと「エゴサーチ=自分<を>探す」っていう意味になりづらい、むしろ語感としてそのまま意味をとれば「私自らが探す」ということになるわけだ。上に挙げたような、「エゴサの誤用を嫌う人々の逆鱗に触れるような例」に代入してみると:

彼の名前を「我、検索す」したら……

っていうことになり、ラテン語の語法に鑑みた場合にはこっちの方が正当な遣い方ってことにならないか。

要するに ego はあくまでも「私が(主格)」なのであって、そもそも「自分を(目的格しかも再帰)」なんかじゃあないんだ。

どうしても古典語で仕上げたいなら「自分」の部分は接頭辞にして「auto」でも使っておけば良かった。「オト・サーチ auto-search」である。「自動車」の「自」、「自伝」の「自」ですよ。

どうせなら目的語部分も動詞部分もラテン語にして「スイ・クァエレレ sui-quaerere」とか「スイ・クァェスケレ sui-quaescere」とでもすれば更に手堅いが、これは遣りすぎか(スイは sui-cideの「自」。「自殺<自分を(再帰) sui +殺す caedere」)。

なんなら古典ギリシア語まで遡って「ヘアウトネレウナ ἑαυτὸνέρευνα」でどうか。ひとはだれもヘアウトネレウノーメノス、すなわち「我とわが身を探すもの=自己探索者」である。格好良いじゃないか。ただの自意識過剰のエゴサなのに、こうなると哲学的探究者みたいな話に見えてくる。

まあネット上の新語としては、セルフ・サーチぐらいが妥当だったんじゃないの。エゴサーチは出だしから躓いていたんだと思う。

ええと、私ですか。エゴサ? してますよ、毎日。ひとはだれも我とわが身を探すもの。

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Published in: on 2015/02/27 at 14:40  コメントする  

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