開発者名を冠した新案器具

医療器具(手術用具)のカタログに見た

手術用クリップのトップメーカーとして業界に知られる「ミズホ株式会社」というメーカーがある。経済産業省の認定によれば規模は中小ながら、脳動脈瘤手術用の「杉田クリップ」の生産で脳外科医の間で世に欠くべからざるプレゼンスを誇っている会社であり、経産省の「グローバルニッチトップ企業100選」にもノミネートされている。

同社ウェブサイトのカタログを覗こうとすると「あなたは医者ですか」と訊いてくる。正直に「いえ、しがない物書きで……」などと答えると、カタログではなくトップ頁に飛ばされてしまうのだ。門前払いである。「どういうお店か、確かめてから入ってきてね」という具合。あなたの来るところじゃないから……

完全に一見さんお断り、というか「お医者さん以外お断り」というかんじで、そりゃそうだミズホはプロ相手の特殊な商売である、物見遊山で来られても困るといった態度が実直な感じで好ましい。実際私は物見遊山であった。済みません、本当に。

その割りには「はい、医者です」と出任せを言って入りこんでみたら普通にサイト内を閲覧できた。これはあれか、エロサイトの18歳未満お断りみたいな、何か業界に必要なエクスキューズがあるのかもしれない。よく見る「医療情報については専門家の指導に従うように」という但し書きみたいな「免責」の手続きが要るということなのだろう。

モグリの医者なんで今回はお邪魔にならぬよう、埃を立てぬよう、静かにカタログを拝見して、音を立てずに出てきた。

さて、このカタログに見る医療器具である。医療の発達にともない様々な特殊器具が営々発明されてきた。ある臓器のある部分の血管を剥がすため、ただそれだけのためのピンセット(業界では「鑷子(じょうし)」という)といったようなものが、ごっそりと発明されたのだ。

これが日曜大工なら汎用的な工具をなんとかごまかしごまかし、使う方の工夫で対処するところだが、ことは先端医療の現場である。しかも相手は生体の人間である。この一箇所、この一手のためにだけ「こう伸びて、曲がって、くるっと先を返して、手を放しても掴みっぱなしでいて、しかも挟まれた方が痛まないで済むような超ピンポイントなピンセットが欲しい! 材質はチタン!」これを医者の我が儘とは言うまい、それがあればたすかる命がきっとあるのだ。

かくしてミズホのカタログには細かく微差を刻み、用途が厳に局限された、様々な医療器具が並ぶ。

それにいかなる言語学的関心が関係するというのだろうか……?

……こうした膨大な「実用新案ピンポイント器具・用具」にはしばしば創案者、開発者の名前が付けられている。「クロワードケリソン骨パンチ」——こうしたパンチの効いた器具の名前が目白押しなのである。

今回は、これら「開発者名を冠した新案器具」において、当の開発者名がどう取り扱われているかを分類して、概観してみた。時々このブログに現れる「誰得?」記事ですよ。「なんのために?」と思ったあなたは回れ右してお帰りになって頂いて結構(おっ、今日はやけに強気)。「何が面白いの?」と思った方にはお応えしておく、私はこういうことが面白くて生きています(やけに必死)。

新案の手術用具に創案・開発者の名前をつけるときの取り扱いについて

「氏」付き型:

ファラボイフ氏骨膜剥離子
ベルクマン氏ギプス剪刀
ヤンゼン氏丸のみ鉗子
ランゲンベック氏骨膜剥離子
ランゲンベック氏骨膜起子
リウエル氏丸のみ鉗子
リストン氏骨剪刀
前田・岩原氏二連丸のみ鉗子
前田・岩原氏鑷子
東氏鑷子
東氏骨膜剥離子
水野氏両頭骨膜起子
水野氏二連関節丸のみ鉗子
水野氏髄核鋭匙鉗子

【摘要】

……鑷子は先述のとおり所謂ピンセットのこと。

……丸のみ鉗子には「氏」付きが多い。例外なし。

……骨膜剥離子には「氏」付きが多い。唯一の例外がクレゴ型骨膜剥離子。

……常に「氏」付きの人は「東氏」と「水野氏」。「東氏」については理由を憶測した——呼び捨てにすると「東大型」が「東氏創案の大型の」ものか「東大で創案された」ものかが判らなくなる……

もともと医学界では、道具なら「開発者」だが、そればかりでなく、疾病名に「発見者」の名を付けることが多く観察される。

疾病名としては「バセドウ氏病」、「メニエール氏病」、「ハンセン氏病」などなど良く知られたものは枚挙に暇なく、ほかにもヴァージャー氏、パーキンソン氏、ホジキン氏、オスグッド氏、アディソン氏、原田氏、木村氏、ペロニー氏、ドケルバン氏、レーベル氏、エプシュタイン氏、ジェニファー氏……多くの「医者の名前」が「病名」となっている。

ここで注目なのは、医学界では病名に付ける時でも敬称「氏」を保つという、余所にない習慣があるということである。言語学界なら「グリムの法則」とか「ソシュールの法則」とか「ヴァッカーナーゲルの法則」とか「ラハマンの法則」とか「ライマンの法則」とか発見者の名がつく場合で「氏」をつけたものはちょっと記憶に無い。

進歩の早い医学界では、疾病の新発見や道具の創案などに携わった人が「呼び捨てをするのが躊躇われる」同時代人であることが多いからだろうか? しかし同様の事情を持っていると思われる数学界や経済学界、あるいは理工学界で「氏」と付けた例はあるだろうか? 「ナッシュ氏均衡」とか「オイラー氏の定数」だとか「ネイピア氏数」だとか……はては「パスカル氏の原理」とか「ピタゴラス氏の定理」とか言うだろうか、言うわけないか。

最近では医学界でも「氏」が取れがちで、しかも連名型疾病名などではその傾向が高そうだ。「クロイツフェルト・ヤコブ病」とか「ギラン・バレー症候群」といった例は「ブラック=ショールズ方程式(金融工学)」や「ナヴィエ=ストークス方程式(流体力学)」「フタバ・スズキリュウ(古生物学・最近の「恐竜」図鑑には載っていないんですね)」などと同じく「氏なし連名」のパタンで、こうしたものが増える傾向にありそう。

それにしても、なぜ医学界だけで敬称が保たれる傾向があったのか……ここに謎が……闇がありそうな……ともかく医学界がとりわけ慇懃に見えるのにはなにかの訳があるような気がする。下衆の勘ぐりだろうか。私は医学界のことは『ブラックジャック』や『白い巨塔』や『医龍』を読んでよく知っているので……いや、これはつまり、よく考えたら医学界のことなど何も知らないも同然だった。考えてみなくてもそうだった。だから斯界について無益な憶測をするのは慎もう。

余談であるが、だいたい本稿はすべて余談みたいなものだが、我が家の子は病気で医者にかかったことが一度もない、健康で有り難い話である(頭がかち割れて担ぎ込まれたことはある)。そんな訳で「医者」と言えば漫画のなかの医者のイメージぐらいしかない。そして漫画のなかの医者は「外科医率」が著しく高い。

「はい、ぽんぽんだしてねー」「あーんしてー」「お薬だしましょうねー」といったような医者の姿を実地に見たことがないのである。その結果として、娘が幼少期にぬいぐるみ相手にやっていた「お医者さんごっこ」は極めて殺伐としていた。

こんな感じだった:「ペアン鉗子……リンゲル……ブツリ(擬音)……骨鋸……ゴリ、ゴリ(擬音)……な、なんだ、これは!」

おいおい、なにを見つけちゃったんだよ、開けちゃった後になって。

……しかし「両頭骨膜起子」って見ただけで頭痛が痛くなるような字面だ。もう、そこは起こさないでそっとしておいて、と言いたくなる。

呼び捨て型:

アドソン開創器
アドソン開創器 小児用
アリス有鈎鉗子
ウォルトン外科吸引管
クロワードケリソン骨パンチ
ケリー止血鉗子
ケリソン骨パンチ
ゲルピー・ラミネクトミー開創器
ゲルピー開創器
ゴッセ開創器
コッヘル手術鈎
デシャンプ動脈瘤針
ドアイヤン胃鉗子・腸鉗子
バブコック組織鉗子
バルファー開創器
フリッチ腹壁鈎
フリッチ腹膜鈎
フレージャー吸引管
ヘガールマグネット持針器
ミクリッチ腸圧定箆
ミクリッチ腹膜鉗子
メッツェンバウム剪刀
リスター鉗子
ルーツェ鑷子
東大型下垂体鑷子
東大改良開創器
止血用白金付ルーツェ鑷子

【摘要】

……鉗子界では呼び捨て型が多い(例外:三村式鉗子)。丸のみ鉗子界では「氏」付きが多かったのと対照的である。モスキート止血鉗子、ブルドック鉗子などは人名由来ではなく隠喩型の命名であろうと判断。

丸のみ鉗子界は長幼の序や礼式に煩い人が特に多かったのだろうか……

……吸引管は呼び捨て。例外なし。吸引管界は虚礼廃止の方向である。

……「ヘガールマグネット持針器」は興味深い。「メーヨー・ヘガール型持針器」でも「型」付きにしていたヘガールをここでは呼び捨て。用途や機構を明示する修飾が足されると「式」や「型」が省かれていくのか。

……アドソンは開創器に限り呼び捨て。他では「型」が付く。

……また「クロワード型椎間板鋭匙鉗子」なのに「クロワードケリソン骨パンチ」。取り扱いが変わったのは何故か、ケリソンはどうしていつも呼び捨てなのか。なお俗情としては上は「クロワード・ケリソン」と中黒が想定されるところであるがカタログ表記に従った。

……東大改良開創器はなぜヨリ一般的な「東大型」としなかったのか? まさかこれ「東氏が大改良を施した開創器」のことではあるまいな。

……この項目は「開けてひらいて押さえておく」タイプの器具が多いことも気にかかる。やはりひとたび「開けて」しまったら、ぐずぐずしていられないからな。「な、なんだ、これは!」とか言っている場合ではない。「氏」だのなんだのと礼法に構ってはいられなくなる、ということだろうか。いかん、またしょうもない憶測を始めてしまった。

「式」型:

メーヨー式剪刀
三村式鉗子
河野式開創器
生田式微小外科用鑷子(他、生田式二例)
田島式ワイヤー用直針(10本入り)
田島式三爪・筋鈎
田島式二爪・筋鈎
田島式弾性 二爪鈎(全角アキはママ)
田島式曲角針
田島式無鈎鑷子(他、田島式鑷子多数)
田島式組織把持鑷子
田島式開創器
蒲原式骨パンチ

……鑷子界ではなぜか日本人の名には「式」とすることが多い。

……田島氏が針、鉤、鑷子に多くのイノベーションを齎している。田島氏の創案は一貫して「式」型命名となっている。

……ちなみに医学界以外(とりわけ工学界)における実用新案は「(人名)式〜」とすることが非常に多い。

……「ケリソン骨パンチ」でもそう思ったんだけど、「蒲原式骨パンチ」とかって、なんだか「技名」みたいですね。しかもすごく効きそう。痛そう。「蒲原式骨パンチ!」とかって。いや笑い事じゃないんですが。

「型」型:

アドソン型下垂体鑷子
アドソン型鑷子
ウェック型タオル鉗子
クレゴ型骨膜剥離子
グレフェー型鑷子
クロワード型椎間板鋭匙鉗子
スティーブン型剪刀
ベックマンアドソン型自在開創器
マカンド型止血鑷子
マッチュー型持針器
メーヨー・ヘガール型持針器
ヤンゼン型自在開創器
ランゲンベック型扁平鈎
ローゼル型持針器
九大改良型開創器
京大型脊椎開創器
東大型下垂体鑷子
東大型下垂体鑷子
東大型五鈎鑷子
止血用スティーレ型直鑷子

……持針器界ではなぜか「型」型が主流。例外はヘガールマグネット持針器。ここまで見てきて感じたのは「鉗子界」なり「丸のみ鉗子界」なり「持針器界」なり、それぞれにローカルルールが出来て、各界内部で命名法則が継承されていくという傾向があるように見える。わりと縦割りである。

……鑷子界ではなぜか外国人の名に「型」型が目だつ。日本人では「式」型が一般だったのに。

何だってこんな記事を最後まで……

読んでしまったんですか、とは聞かないでおこう。本当に済みませんでした。ほとんどの人にとって(もちろん私自身にとっても)まったく役に立たない情報を世界に発信してしまった。最後まで読まなければ気が済まなかった愛読者の皆様に(ほんとうにいるだろうか?)、せめて日常の役に立つ豆知識を、二、三お知らせしてから擱筆しよう。

  • グローバル・ニッチ・トップ企業百選に選ばれたマスダックの全自動どらやき器。英名は英名「Sandwich Pancake Machine」。その特徴を知ろうと同社サイトを訪れてみると「耳締めコンベヤ部」なる言葉がある。「耳締めコンベヤ」とは……いっしゅん疑問に思うかもしれないが、というか物騒な想像をしてしまいがちだが……そう誰だって気が付くことだろう、どらやき製造には「耳締め工程」があるのだ。上下の皮で餡を包んで「耳を締める」のである。全自動どら焼き工程の〆めは「耳締め」。覚えておいて頂きたい。
  • 銀座十字屋(ハープとフルートの専門店)のオンラインショップをみると、あなたは愕然とするかもしれない。ハープのオンラインショップでは最多価格帯が100万内外であり、カタログ筆頭はサルヴィ社のペダルハープ16,740,000円なり。これ「ポチる」人っているのだろうか、我々の心は千々に乱れるのだが、これも覚えておいて頂きたいことである——サルヴィ社のペダルハープが急に入用になることが、長い人生の中であるかもしれないのだ。ボタン一押しで買えます。

(今 2015/03/10 見たら品切れだった。済みませんでした、一押しでは買えません、入荷待ちです。いやそういう問題ではないだろうけれども)

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Published in: on 2015/03/16 at 19:45  コメントする  

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