固有名詞(人物名)が一般名詞化する

物語、伝承に登場する人物の名前が、人間の性格や属性を表す一般名詞として使われる例について。たとえば「タルチュフ」である。

この人物はモリエールの出世作、芝居『タルチュフあるいはペテン師』に知られる。タルチュフは偽善者(偽宗教家)であり、金満家オルゴン氏、その母ペルネル夫人に取り入って、一家に食い入ってくる。オルゴンの娘を強引に娶り、財産を収奪し、あまつさえオルゴンの妻にまで手を出そうとする(いずれも最終的には未遂)筋金入りの生臭坊主、いや本当は坊主ですらないのだ。タルチュフの偽善に気付いていた周りのもの、特にオルゴンの妻エルミールは策を巡らして偽善者を罠にかけ、その馬脚を露にするのだが、敵もさる者、すでに手に入れていた財産贈与の書面をたてに執行吏を遣わしてくる。さらにタルチュフはオルゴン一家は陰謀の一端を担っていると国王宛に告発し、一家の破滅は目前となる……

この強烈な登場人物タルチュフの登場以後、タルチュフといえば偽善者、偽善者といえばタルチュフということになった。かくして固有名 Tartufe は一般名詞 tartufe(偽善者)となる。

レトリックの用語では、こうした固有名詞の一般名詞化は「換称 ἀντονομάζειν 」の一分野、換喩 métonymie のひとつである。一部をもって全部の代表とする修辞。これがとりわけ文学の世界でよく起こった。特にフランス文学では顕著である。フランス文学以外については門外漢なので確証はないが、これにはフランス語のとある社会言語学的な特徴が影響を与えているかもしれない。フランスの文章語に顕著な「呼び替え」の習慣のことである。「同じ物・とくに同じ人物」を指す言葉をつぎつぎに差し替えていくという習慣がある。指示対象は同じであっても、表現の上で同じ言葉を繰り返すのを野暮として嫌って、なんとか別の言い方に訴えようとするのである。

かくして、たとえば「クロード・レヴィ=ストロース」と一度冒頭で使ったならば、そこからは「この人類学者」「この不機嫌なアカデミシャン」「構造主義の創始者」「『悲しき熱帯』の著者」「三人の妻の夫」などと、文を改めるたびに入れ替えていく。(最後の例など大きなお世話だが)

指示対象が「フランス」ならば、「この国」「人権思想の祖国」「フランク王国の末裔」「この六角形」などと言い換えていく。この「六角形」は非常にポピュラーな言い換えだから、週末の新聞を目を皿にして探せば一つか二つは必ず見つかるだろう。

相手が「日本」ならば「日出ずる処 (Le Soleil Levant)」から始まって「長く展びる列島 (Archipel)」「極東 (Extrême-Orient) の島」「不思議の島 (les îles mystérieuses)」「世界三番目の経済圏」「世界のオタクのメッカ」などと文脈に合わせて定番が並ぶ。(最後の例など大きなお世話だが)

つまりフランス語の(言語内的な問題というよりは)運用上の特質として、何かをその属性でズバッと切るということが奨励されていることになる。なにかと偏見と視点の固定化を招きやすい、問題含みの習慣でもあるが、これが逆のモーメントで働けば容易に「固有名詞の一般名詞化」につながる。そんなわけで「タルチュフ=偽善者」に準じて、登場人物がその属性の代表例となることにはじまる「一般名詞化」の例はフランス文学、とくに十八世紀戯曲に多いのだが、それも故無きとはしない。

ただし、この類いでおそらく最も人口に膾炙した例はイギリス(アイルランド)文学、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ=吸血鬼」であろう。これが一登場人物の名前に過ぎなかったことなど一般にはとうに忘れ去られ、吸血鬼(ヴァンパイア)を象徴するキャラクター、いやさ吸血鬼そのもののことと成り果てている。日本語ならば「土左衛門=水死体」あたりが好例だろうか。享保年間の相撲取り、成瀬川土左衛門のあんこ体形に由来するとされ、これなども完全に一般名詞化している。

順不同で類例を挙げてみる。

プティ・ジャン Petit-Jean

「=悪賢い田舎者」。ラシーヌの『訴訟狂』の登場人物の名前から。

ソジー sosie

「=瓜二つの人」。モリエールなどの喜劇の奴隷の名前に由来するが、これはローマ古拙期喜劇プラウトゥス『アンピトルオー』にまで遡る古典的登場人物の名だ。『アンピトルオー』ではマーキュリーがソジーに化けていた。「本物のソジー」と「マーキュリーが化けたソジー」が二役で、今どちらが舞台にいるのか赤いリボン(など)を付けて区別するという演出で有名である。

ドンファン don Juan

「=漁色家、女たらし」。これもモリエール。つくづく「キャラ立て」のうまい作家だったのだと思い知る。

ルクレーチア

「=貞節な妻」。これは古代ローマ王政末期の伝承にある貞淑な妻の偶像である。

フィガロ Figalo

「=機知に満ちた嘘つき」。ボーマルシェの戯曲に由来する。おなじくモリエールの「スカパン Scapin」、モーツアルトのオペラに名高い「ティル Til Eurenspiegel 」が対抗馬になるだろうか。

アルパゴン harpagon

「=吝嗇家、守銭奴」。モリエール『守銭奴』の主人公 Harpagon から。これにはイギリス文学から「スクルージ Scrooge」が対抗する。後者はディケンズ『クリスマス・キャロル』に登場する守銭奴である。がめつい奴、というとシェイクスピアのシャイロック『ベニスの商人』も思い浮かぶが、普通名詞として成立するまでは到っていないようだ。

ところでイギリス文学からディケンズは、モリエールに対抗する「換称(アントノマジア)」の海峡向こうの雄と言えそうだ。「ミコーバー Micawber =楽天家」(注1)は『デビット・カッパーフィールド』から、「フェイギン fagin =子供に悪さを教え込む人」は『オリバー・トゥイスト』から、と一般名詞化ぎりぎりまで来ている登場人物が引きも切らない。

なにか「換称」の対象となるには俗受けのする作風が必須となるような気がする。しからば俗受けの点では人語に落ちないシェイクスピアにあまり「換称」の類例を見ないのは興味深いことだ。「オセロー=嫉妬深い夫」「リア=猜疑心に囚われた父」「マクベス=予言に囚われた男」とか、ネタには事欠かないのになぜか「換称」の対象には成りえていない。

パパラッチ paparazzi

「=のぞきや」。フェリーニの『甘い生活』に登場するゴシップ・カメラマン、パパラッツォ(Paparazzo)に由来し、複数形に変化させたもの。したがって一人のパパラッチはむしろ「パパラッツォ」とすべきかもしれない。余談であるが、今(2011年9月)ウィキペディアで見たら、あらすじの紹介に「ゴシップ新聞社の記者でパパラッチのマルチェロは」とあった。この映画から出来た言葉でこの映画を説明するというのは面白いアナクロニスムだと思う。マルチェロの同僚パパラッツォのことはどう紹介すればいいのだろうか。やはり「パパラッチのパパラッツォは」ということになるしかない。

これが許されるのなら「タルチュフは筋金入りのタルチュフであり……」とか「名高いドン・ファンのドン・ファンは……」とか、そういうのも有りということになる訳で、なにやらおかしなことになっていきそうな気がする。

ロリータ Lolita

「=妖婦ならぬ妖少女」。言わずと知れたナボコフ『ロリータ』だが、これはドラキュラなみの浸透度のある「換称」であろうか。こんにち「ロリータ」は善かれあしかれ普通名詞に登録済みだろう。「ロリ」とすれば、現代日本語では形容詞・接頭辞としても生産性がある(新語の基盤と成りうる)。ちなみに、意外と忘れ去られていることだが、書き出しから濃密なフェティッシュを帯びて繰り返される「ロリータ」という名は主人公が勝手に名付けた愛称であって、問題の少女はほんとうはロリータという名前ではない:ドロレス・ヘイズという。

太公望

「=釣り人」。鮎解禁の時節などに新聞の見出しに踊る。三年寝太郎のような、大望と能力がありながら一見怠惰に見える人物の「換称」としても使えそうな気がする。

落ちを付けるために、ドラキュラや土左衛門以上の定着度をもった古今東西の「換称の決定版」に触れておこう。

包丁
「=包丁」。

何を言っているかというと、もとは包丁というのは『荘子』に登場する「包丁(ほうてい)」と呼ばれる、刃物さばきで魏の恵王を感嘆させた料理人のことだそうだ。ただし「包丁」は固有名(人物名)ではなく役職(包=台所を・丁=あずかるもの)とするのが通説であるようで、厳密に言えば「固有名→一般名詞」という今回取り扱ったシリーズに連なるものではない。だが定着度合いと「人物→道具名」という変化がかなり際立ったものなので付言せずにはいられなかった。

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(注1)

ところでミカウバーといえば「固有名」が世界で一番よく知られたギターの名前と言えるかも知れない。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズの使う、五本弦のテレキャスターが「ミカウバー」と呼ばれている。

B.B.キングの「ルシール」(レスポール ES-335)、クラプトンの「ブラッキー」(ストラトキャスター)、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの「ナンバーワン」(これもストラト)などと並んで、個体同定されている珍しいギターの一つ。

五弦オープンGのチューニングに設えられてあり、全部開放弦でかき鳴らすだけで G が鳴るという「便利」なギターで、その様子は「ホンキー・トンク・ウィメン」のイントロでよくわかる。キースが怠け者でフレットも押さえられないほど耄碌している、という訳ではなく、どこも押さえなくても弾けばイントロのリフになるように工夫してあるのだ。

私は「ミカウバー」と聞けば、「楽天家」というよりも先に、この物ぐさギター(弾いている姿にリンク)のことが思い浮かぶ。

Published in: on 2011/09/04 at 17:12  固有名詞(人物名)が一般名詞化する はコメントを受け付けていません