「ザクシャインラブ」って何語なの?

かつての教え子からご質問があり、調べてみたこと。掲題の「ザクシャインラブ」とは、少年ジャンプ連載中のラブコメマンガ『ニセコイ』に出てくるキーワード。「10年前の約束」にまつわる言葉で、主人公はこの思い出を共有する「約束の女の子」を探しているとのこと。

この言葉がポーランド語だというのである。スラブ系の言語は苦手で、古い教会スラブ語の文法などに四苦八苦している上に、現代語は他に専門家がごろごろ居るので私の任ではないなと思ったのだが、ちょっとネットで調べてみたら「通説」がまるっきりいい加減なようで驚いてしまった。以下引用に辺り無用な改行を省く。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1381315678

Q : ニセコイについて質問です。 ニセコイに出てくるザクシャインラブの意味を教えて…

A : たしか、「愛を永遠に」だったと思います。

A : 『永遠の愛』でっせ(^O^)

A : ザクシャというのはポーランド語で「永遠に」とか「いつも」っていう意味みたいです。永遠に愛する、いつも愛しているという意味だと思います。

「みたいです」、「思います」とあやふやな応答ばかりで、なんだか可笑しい。ヤフー知恵袋というのはこういう場所であると弁えていたつもりではあるが、正直これほどかと思い知った。ベスト・アンサーが「たしか……だと思います」といった体たらく。下もヤフー知恵袋の応答である。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1082675025

Q :「ザクシャ イン ラブ」 って、何語でどうやってかくんですか??

A : 《zyjacya in love》だと思う。ザクシャって言うのはポーランド語で永遠とかなんかそんな意味合いの言葉。「na zawsze」で発音がザクシャだったと思う。

「《zyjacya in love》だと思う」と言っておきながら「『na zawsze』で発音がザクシャ」と、もはや意味不明。どっちなんだ、というかんじであるが、ひとまず訝しんだのは żyjący であれ na zawsze であれ、「ザクシャ」とは読まないのではないかということ。

http://blog.livedoor.jp/suta_kurisutaru/archives/3360613.html

タイトルの英語[引用者注:zyjacya in love]はザクシャインラブと読みます。

ポーランドの言葉で「永遠の愛」という意味です。

「タイトルの英語」が「ポーランドの言葉」だということでもはや支離滅裂なのであるが、ここでの「英語」とはおそらく「横文字」の謂だろう。これは若い方のお書きになったものとおぼしく、責は怪しげな情報を吹きこんだ方にあると思う。たしかに in love の部分は英語としか思えないし……

https://twitter.com/monocrat_dsd/status/210352390216486912

はいはーい!ザクシャインラブって言葉聞き覚えあります!!ポーランド語ですよね!!

なんだかもう常識みたいな話になっている。というわけで、本当にポーランド語なのかざっと調べてみたのだが、結論から言うと「ザクシャ」という言葉になかなか出会えない。諸賢の叱責を請いたい。ここまで調べてみたことを以下に記して、管見の限りでは「ザクシャ」なるポーランド語の実在を疑っていることまで明らかにしておく。

1)żyjący は無関係ではないか

żyjący はこの一件につき散見した単語であるが、どこから紛れ込んできたのか。仮名で無理に音写するなら「ズィヨーチ」といったところか。żyć「ズェチュ(生きる)」を語根とする形容詞的現在分詞で意味は「いる、生きている」。このままの形なら男性形主格に一致している。« zyjacya in love » は、まずザクシャインラブとは読めない。意味としても、これを「永遠の愛」とは、意訳のお手伝いにも程があるという感じ。

2)na zawsze はたしかに「永遠に」の意になる

zawsze は「ザフシェ」、意味は単に「いつも、いつでも」。「永遠に」にあたるのは熟語 na zawsze「ナ・ザフシェ」。これは関係がありそう。海外のフォーラムでの議論を見る限りでは、欧州で流通している『ニセコイ』の海賊版では zawsze in love と訳したものがあるようで、訳者がポーランド語母語話者に聞いて、意味不明な「ザクシャ」の部分を訂正したということだろう。やはり「ザクシャ」のままでは読めまい。訛りや聞き違いの可能性もあるが、唇歯摩擦音の /f/ はなかなか「ク」にはならないのではないか(かたや口蓋摩擦音ならば頻繁に /k/ になる。「漢」を国によって「カン・ハン」などとしているように)。あるいは、もしかしてカタカナの読み間違いが絡んでいるのだろうか。「ザフシェ」と「ザクシャ」だと字面は確かに似ている。

3)「永遠の愛」とポーランド語で言いたければ……

« Na zawsze w miłości » 「ナ・ザフシェ・ヴ・ミウォーシュチ」とでもするか、あるいは « Na zawsze zakochani » 「ナ・ザフシェ・ザコハニ」とでもしたところか。

miłości は miłość 「愛」の処格 (locatif)。処格支配の前置詞 w(英語:in)を伴って「愛している(in love)」の意味になる。上の形でおおよそ「いついつまでもラブ部ラブ」ということである。(書きつけないことを書いたばっかりにミスタイプをしてしまったが、自分への戒めとしてそのままにしておくこととする)

他方 zakochany は「愛している」の意の形容詞、ここでは zakochani と複数形にして「愛し合っている」。実は私が最初に疑ったのはこの zakochany のことを「ザクシャ」と訛ったものではないか、ということだった。例えばドイツ語などにも見る、この軟口蓋摩擦音の /x/ は少し調音点がずれるだけで反り舌摩擦音に変化する。zakochany の -cha- を「シャ」とする言葉があるか、あるいは音写を誤ったものではないかと、考えたのである。だが牽強付会か。問題の言葉「ザクシャインラブ」は in love のくだりで「愛」についての言及は足りている。やはり「ザクシャ」は「いつまでも」の意味であった方が話が通る。

というわけで暫定的な予想としては:

「na zawsze 永遠に」の連語成分である zawsze について、1)ザクシャと音写されるような発音形が存在する可能性、2)単にザクシャと聞き誤った可能性、3)文字の上で「ザクシャ」と見誤った可能性、以上の三点を指摘するにとどめる。

「永遠の愛」のポーランド語としては前掲 na zawsze w miłości あるいは Na zawsze zakochani ぐらいが穏当な訳になりそう。

これ以上はスラブ語の専門家に任せよう。

ちなみにこのマンガはポーランド人にも読まれており、海外のフォーラム (http://forums.mangafox.me/threads/389005-It-s-ZAWSZE-not-ZAXIA/page2) では母語話者がコメントしていた。「国の言葉が出てくるのは嬉しいが、一方でちょっと間が抜けているように思う」とのお言葉である。そのポーランド女性(恐らく)は『ニセコイ』の「オノデラさん」を応援しており、ラブコメでは多く「シャイでキュートな女の子が、喧しくて暴力的な子に後れを取りがち」であることに憤慨しておられるようだ。

Published in: on 2012/07/24 at 14:43  「ザクシャインラブ」って何語なの? はコメントを受け付けていません